2017.9.8~11 親友と二人でオヤジ軍団九州旅行(佐賀~長崎~大分~福岡)へ行きました。
美味しい手打ちうどんを食べた後、国東半島の北の付け根に位置する「宇佐神宮」に向かいました。宇佐神宮は、全国に4万社余りある八幡様の総本宮です。
日曜日の15時頃でしたが、参拝者もさほど多くなくてノンビリ歩けました。
広々~~~とした駐車場に停めて、ぐるりと回って参道正面へ。
参道も広々として長いですねー。西陽が強烈で暑かったですよ。
表参道商店街
代表的な特産品である大分のかぼすは全国の生産量の90%以上を占めています。柚子も特産品で、人気のある「ゆずこしょう」も、もともとは九州の特産品で、最初にゆずこしょうが作られたのは大分県といわれていますよ。
26号蒸気機関車
この型の蒸気機関車は、 全国に4両しか保存されてない貴重なもので、 大分県指定有形文化財。
宇佐参宮線26号蒸気機関車は、 明治24年(1891)に ドイツ・ミュウヘン市のクラウス社が製造、 明治27年(1894)に九州鉄道が購入し活躍していましたが、 昭和23年(1948) 機関車の大型化に圧され 大分交通に譲渡の後、 宇佐参宮線の主役となりました。 宇佐参宮線は、 大正5年(1916)3月開業し、 昭和40年(1965)8月に廃止されました。
寄藻川に架かる神橋
いよいよ境内へ。
大鳥居 でっかいです。
黒男神社
宇佐神宮大鳥居の近くに鎮座。ご祭神は、武内宿禰。
宝物館 帰りに寄ろうと思ったらもう閉まっちゃってました。
能楽殿と菱型池
欽明天皇の29(569)年、宇佐神宮境内の菱形池のほとりの泉のわくところに、ひとつの身体に八つの頭という奇異な姿の鍛冶をする翁があらわれて、この姿を見た者はたちまち病気になったり死んだりしました。
大神比義が見に行くと老人の姿なく、かわりに金色の鷹が見えました。比義が『誰かによって鷹に変えられたのか、自分の意志で鷹になったのか』と問うと、鷹は金色の鳩となって比義の袂の上にとまりました。
神が人を救済されようとして自ら変身されたことを知った比義が、3年あまり断食をして祈り続けたところ、ついに欽明天皇32(571)年2月初卯の日に、この泉のかたわらの笹の上に光かがやく3才の童子があらわれ『われは誉田の天皇広幡八幡麿なり。 わが名は護国霊験威力神通大自在王菩薩で、 神道として垂迹せし者なり』と告げられました。
そしてたちまち黄金の鷹になって駅館川の東岸の松の上にとどまったといわれます。 そこに和銅元年(708)鷹居社をつくり八幡さまを祀り、のち霊亀2年(716)小山田の林に移られ、ここに小山田社を造営。神亀2年(725)年に現在の社地、亀山(菱形山とも小椋山ともいう)に移されて八幡大神様が鎮座されたのが宇佐神宮の創立です。宇佐神宮hpより。
手水舎
春宮神社
表参道の手水舎の先、右側に鎮座。御祭神:菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)応神天皇の御子神で、勉学に励み寵愛されていましたが、兄の大鷦鷯命に皇太子の座を譲りました。学問の神様(宇佐神宮HPより)
左の鳥居は上宮へ。右の鳥居は下宮へと向かいます。
上宮へ向かう鳥居へ。
良い参道です。柔らかな空気を感じました。
亀山神社
亀山神社御祭神:大山積命(おおやまづみのみこと)
上宮が鎮座している小椋山は、亀山といいます。亀山神社は、亀山の山の神である大山積命を祀る神社です。(宇佐神宮HPより)
若宮神社
若宮神社御祭神:応神天皇の若宮であられる大鷦鷯命(仁徳天皇)と皇子をお祀りしています。除災難・厄難として有名です。
西大門
文禄(1592年 - 1596年)頃の建造とされ、安土桃山時代の様式。
なぜ宇佐鳥居の写真が無いのだろう。。。。見た記憶もない。。。不思議だなあ。この西大門の前に鳥居があったようなのだが・・・・
ともかく、西大門をくぐります。
むむ・・・どうなっているんだろう?なかなか境内の中は複雑?迷路?のようです。
西中門(写真左側)
上宮本殿は、2棟の切妻造平入の建物が前後に繋がった形の八幡造。国宝指定。本殿はこの西中門の内側になります。本殿は写真撮影禁止。
巨大な拝殿??が現れました。
しばらく佇んで眺めていたら、拍手が何となく多い。
左の「一之御殿」、中央の「二之御殿」、右の「三之御殿」と順にお参りするようです。
一之御殿の拝殿 一之御殿御祭神:八幡大神 1860年(万延元年)建立
二之御殿(二之御殿は、この奥です。この写真に写っているのは南楼門)
二之御殿御祭神:比売大神 1859年(安政6年)建立
三之御殿の拝殿 三之御殿御祭神:神功皇后 1861年(文久元年)建立
宇佐神宮(うさじんぐう)
は、大分県宇佐市にある神社。式内社(名神大社3社)、豊前国一宮、勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約44,000社ある八幡宮の総本社である。石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。古くは八幡宇佐宮または八幡大菩薩宇佐宮などと呼ばれた。また神仏分離以前は神宮寺の弥勒寺(後述)と一体のものとして、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していた[注 1]。現在でも通称として宇佐八幡とも呼ばれる。
大分県北部、国東半島付け根に立つ御許山(標高647m)山麓に鎮座する。本殿は小高い丘陵の小椋山(亀山)山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とからなり、その周りに社殿が広がっている。境内は国の史跡に指定され、本殿3棟は国宝に指定されている。
八幡宮の総本社であり古くから皇室の崇敬を受けているほか、称徳天皇時代の宇佐八幡宮神託事件でも知られる。参拝は一般と異なり、二拝四拍手一拝を作法としている。
宇佐神宮 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年1月8日 (水) 19:34
神社本庁と大分県神社庁宇佐支部の宮司の継承を巡る騒動は・・・未だ続いているようです。。。。。が、参拝者が向かい合うのは、神社ではなく神社の神様ですから・・・。
百段
上宮の南側に石段があり、その下(道路沿い)に南大門があります。
大昔に鬼がいて、「人を喰べていいか」と神に許しをこうたところ、大神は「わが宮の石段百段を一夜に築いたならば許してやろう」と言われました。鬼は懸命に石段を積みましたが、99段目まで積み上げたとき、大神は鶏を鳴かせて夜が明けたと告げられました。鬼は原(はる)の蛇堀の池に身を投げたといいます。これは石段にまつわる伝説です。昭和造営前の石段は大石を使った荒造りでした。(宇佐神宮HPより)
この石段の伝説、先に投稿した「熊野磨崖仏・熊野神社(大分県豊後高田市)~苦逃幸来鬼 (くにさきおに)」と酷似していますねー。
赤鬼が築いた九十九の石段の話
昔、昔のお話です。 この田染の里に、毛むくじゃらの赤鬼がやってきて、人間を食べるというのです。
それを聞いた熊野の権現様は、何か良い方法はないかと考えました。
そして、いち夜のうちに百の石段をこしらえたら許してやろうと約束したのです。
権現様は、とうていできるはずはないと思っていたのですが、なんと赤鬼は、ひょいひょいと石を担いで、あっという間に五十段をこしらえました。
その早いこと早いこと、みるみるうちに九十九段築いたのでした。
おどろいた権現様は、百段目の石を担いだ赤鬼の足が山かげに見えたとき、「コケコッコー」と、にわとりの鳴き声を真似したのでした。
赤鬼は、「負けたあ」と最後の石を担いだまま逃げ出していったそうです。
熊野山胎蔵寺から磨崖仏を通って熊野権現様まで続いている石段は、この赤鬼が築いた石段といわれ、今でも多くの人々に親しまれています。
~現地案内板より (胎蔵寺駐車場内)
下宮へと向かいます。
下宮参拝のご案内
宇佐神宮には、現在皆様がお参りのこの「上宮」と、これより約200mほど下った「下宮」の、二つの大きな神域がございます。
このふたつの神社は、共に同じ御祭神を祀り、古来「上宮」は国家の神として、「下宮」は民衆の神として、皇室をはじめ国民より篤い崇敬を集めてまいりました。現在でも月々の祭祀は、上宮下宮同様に厳修致しております。
ご参拝の皆様には「片参り」となりませぬよう、是非「下宮」へご参拝いただきたくご案内申し上げます。(現地案内板より)
下宮(御炊宮・みけみや) 下宮の八幡大神は、御饌(みけ)を司ると共に、農業や一般産業の発展、充実をお守りになるご神威を発揮されます。
古くから日常の祭祀には、とくに国民一般の祈願や報賽(ほうさい)が行われてきました。 下宮は嵯峨天皇の弘仁年間(810年~824年)に朝廷より造宮使が遣わされ、上宮のご分神をお鎮祭し創祀されました。
古くは御炊殿(おいどの)ともいわれ、神前にお供えする御饌(食事)を炊く竈殿(現在下宮授与所)があり、農業・漁業をはじめとする一般産業の発展充実を御守りになる神様であります。
上宮と同様に歴代の皇室をはじめ、国民の崇敬篤く、特に宇佐地方では「下宮参らにゃ片参り」と称されて親しまれております。
また、一之御殿には、八幡大神を顕しになった大神比義の霊を祀る大神祖神社が相殿として奉斎されております。(現地案内板より)
養蚕神社御祭神:天照皇大神八坂神社と並んで祀られています。
呉橋を見損ねました。残念です。。。。帰ってから知りました^^;
(鎌倉時代より以前からある西参道の屋根がついた神橋です。昔、呉の国の人が架けたともいわれ、呉橋と名付けられています。)
宇佐神宮西からの入口・呉橋から続く西参道の両側一帯には、かつて『弥勒寺』なる神宮寺があった。弥勒寺は、応神八幡神の小椋山鎮座(725)に併せて建立された二つの神宮寺・弥勒禅院(日足禅院)と薬師勝恩寺を統合して宇佐八幡宮の境内に
移築した神宮寺。
この弥勒寺の建立は、単に二つの神宮寺を統合移築したというのではなく、神と仏を名実共に一体するためのもので、国家鎮護仏として弥勒菩薩(講堂本尊)を主体に、当時の社会を覆っていた疾病苦難の救済仏として薬師如来(金堂本尊)を併せ祀ったものという。
一般に神宮寺の建立は、当時の神仏習合思想をうけて、宿業によって神身を受け苦悩する吾(神)の救済を求める神身離脱思想によるものが多いが、当初から仏教と習合していた八幡神には神身からの離脱という意志はなく、八幡神がもつ神仏の一体性を目に見える形で具体化したのが弥勒寺建立だったともいう。
この2寺は、八幡宮の神宮寺的性格をもつとはいえ、いまだ氏寺的性格をもった寺で、これを統合した弥勒寺は、氏寺的性格から脱した国家鎮護の寺・国分寺的性格の寺だったともいう。宇佐八幡宮の歴史を語るとき、弥勒寺に象徴される仏教
を除くことはできない。http://www.y-tohara.com/usa-mirokuji-2.html 様より。
というわけで、宇佐鳥居は意識せず、呉橋はスルーしてしまい残念でしたが、やはり素晴らしい神社でしたねー。これから、あちこちの八幡神社へ参ると思いますが、その都度にこの宇佐神宮を思い出すのでしょうね。
16時過ぎに宇佐神宮を出発。18時過ぎに博多の「ホテルニューガイア天神南」着。シャワーを浴びて飲みに街へ出ました。
別府同様に福岡に泊まるのも初めてなので土地勘が全くなし。博多といえば中州、屋台は知っていましたが、どうもホテルからそこそこ距離があるみたいだし、お疲れモードだったのでホテルの近くを探索。
5000円お任せコース飲み放題の看板が目に入って、こちらで飲食しました。博多海鮮処「雅」。
いや~、大当たりでしたよ。美味しかった~~。
ヒラメの煮付け~
締めはウニ乗せ焼きオニギリ~
やっぱり醤油は甘めでしたね。お酒は地元では辛口が好まれるようです。「繁枡」超辛口~^^
従業員のおねえさんも明るかったし、若い大将の「気」もピュアな感じだったなあ。お刺身も新鮮でホント美味しかった^^ 一度来られると全国からリピーターも多いようですよ^^