↓1「神仏分離令」から2「神道指令」「神社本庁」について記してきました。↓
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神仏分離令によって仏教寺院の多くが破却され、「祈りの体系」「神祓信仰」など地域に根ざした宗教文化は根底から壊された。
自然崇拝系である庶民の信仰する山の神や道祖神は、古代に編纂された記紀神話や延喜式神名帳の神々に置き換えられた。(「八幡大菩薩」「妙見大菩薩」「熊野権現」「牛頭大王」などの仏教風神号(神の名前)も禁令)
神社神道と教派神道(神道13派>神道系新宗教教団)が分離分裂、この両派をもって国家神道体制が出来上がった。(教派神道で良く知られている教団は、黒住教、出雲大社、御嶽教、禊教、金光教、天理教など)儀式所作も統一
神仏分離令の後、皇家と国家の神社、創建神社(東郷神社や湊川神社、靖国神社、 招魂神社(後の護国神社)など)、天皇を祭神とする神社(明治神宮や樫原神宮
など)が新たに作られた。
明治元年(1868年)神仏分離令以前の創建か、以後の創建かでその神社の成り立ちが解る。
神道指令により、国家神道は廃止され、終戦後、神社本庁(全国約8万社の民間の包括宗教法人)が設立されました。
民間の包括宗教法人となったので、独立した宗教法人の神社も沢山ある(日光東照宮、伏見稲荷大社など)。
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その後の歴史を見ると・・・
1966年(昭和41年):旧「紀元節」(2月11日)「建国記念の日」制定(1967年より~)
(戦前、2月11日は「紀元節」と呼ばれていたが戦後、天皇の神格化に関係する祝日としてGHQ(連合国軍総司令部)の意向で廃止されていた。)
由来は、「日本書紀」に基づく初代天皇・神武天皇の即位日。これを太陽暦に換算すると、紀元前660年2月11日にあたる。明治政府はこの日を「紀元」(建国の日)として、祝日にすると定めた。
しかし、紀元節の根拠となった「日本書紀」の内容が、史実であるという確証はありません。神武天皇が即位したとされる時代、日本は縄文時代の末期〜弥生時代の初期にあたりますが、即位日を裏付ける史料はありません。同書では、神武天皇は127歳まで生存したことになっています。
保守派から紀元節の復活を求める声が出る中、当時の政府は2月11日を歴史的事実として「建国の日」と位置づけることは避け、あくまで「建国というできごと」そのものを象徴し、祝う日とするという姿勢を取った。
法律は『古事記』『日本書紀』に基づく建国神話には言及せず、「日本が建国された日」とも記していない。「建国をしのび、国を愛する心を養う」とだけ、記されている。「建国記念の日」の「の」という文字には、こうした背景があります。
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祝日には、
・その日固有の意味を持つことから祝日になったもの
・その時の社会情勢等から祝日になったもの
があって、
「移動できる祝日」と「移動してくれない祝日」があるのは、法律で決まっています。
なお、「建国記念の日」だけは「政令で定める日」と定められていて動きません。
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その後の神社を取り巻く方向は、凡そ分けると・・・・
●神社本庁の神仏分離以降創建の神社(主に神宮・護国神社)
〇国民精神昂揚運動・・・皇室の尊厳護持、神宮の式年遷宮奉賛、靖国神社の国家護持・公式参拝、憲法改正、教育、護国神社での合祀
〇環境活動・・・環境教育と伝統文化の融合「森厳」「崇敬」(但し、反原発や辺野古の抗議活動などには無関心か?あくまで国益重視ありきか?)
〇文化・芸術・スポーツへの浸透・・・芸術家への助成支援、茶道、明治神宮外苑の絵画館、国立競技場建設など
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●神社本庁の神仏分離以前創建の神社や神社本庁に属さない神社
〇民間信仰(民俗信仰)氏神・氏子・氏社・鎮守・産土神
・産土神(うぶすながみ)は、その者が生まれた土地の守護神を指す。
・氏神(うじがみ)は、同じ地域(集落)に住む人々が共同で祀る神道の神のこと。
・同じ氏神の周辺に住み、その神を信仰する者同士を氏子(うじこ)という。
・現在では、鎮守(ちんじゅ)ともほぼ同じ意味で扱われることが多い。
・氏神を祀る神社のことを氏社という。
・お宮参りが産土神という、生まれた土地の神に対して行われる様に、多くの場合において、産土神を氏神とすることが多い。
・氏神信仰は七五三などで見ることが出来るが、お宮参りは本来氏神にお参りして、その土地の一員になることを認めてもらうための儀式の一つでした。
〇自然信仰(自然崇拝)自然物・自然現象を対象とする・・・天空、大地、山、海、 太陽、月、星(星辰崇拝) 雷、雨、風などの気象、樹木、森林、動物(特に熊、狼などの猛獣)、 水、火、岩石など。>地球中心主義信仰
〇祖霊信仰(祖先崇拝)・・・既に死んだ祖先が、生きている者の生活に影響を与えている、あるいは与えることができる、という信仰。
〇ご利益信仰・・・五穀豊穣、商売繁盛、出世、安産、病気平癒、学業成就など。
・8万社(祠までいれると20万社とも)ある神社のうち、2万社は稲荷神社(伏見稲荷hpによると3万社)、1万5千社(4万社とも)は八幡宮。神社の多くが稲荷神社or八幡神社(八幡宮)ということになる。
・稲荷信仰・・・・稲を象徴する穀霊神・農耕神。
もとは古代社会において、渡来民の秦氏から伝わった氏神的な稲荷信仰であり、秦氏の勢力拡大によって信仰も広まっていった。
本来の「田の神」の祭場は狐塚(キツネを神として祀った塚・キツネの棲家の穴)だったと推測されるが、近世には京都の伏見稲荷を中心とする稲荷信仰が広まり、狐塚に稲荷が祀られるようになった。五穀をつかさどる神・ウカノミタマと稲荷神が同一視されることから、伏見稲荷大社を含め、多くの稲荷神社ではウカノミタマを主祭神としている。by wikipedia
・八幡信仰・・・・応神天皇(誉田別命)の神霊、八幡三神(応神天皇(誉田別命)、比売神、応神天皇の母である神功皇后)
武神として讃えられた八幡神>現代では、加えて交通安全や健康、所願成就となっている。
〇現代においては、スピリチュアリズム的要素、パワースポット
聖地ありきの神社の本質には合致している。
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●教派神道系の神社
・本来の呪術シャーマニズム(梓巫(あずさみこ)、市子(いちこ)、憑祈祷(よりきとう)、狐下げ(きつねさげ)などを行っている神社もある。(民間信仰(民俗信仰の中にも)
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古い神社では祭神名はよく変化してきました。ですから「延喜式神名帳」に祭神名の記載はなく、祝詞も「某々の社に鎮まります大神の御前に・・・」となっています。これは神社の本質は神が「坐す」場所ということです。
本来の神道(惟神道(かんながらのみち))とは・・・
教典や具体的な教えはなく、開祖もおらず、神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづくアニミズム的・祖霊崇拝的な民族宗教である。自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。
また、神社の起源は、磐座(いわくら)や神の住む禁足地(俗に神体山)などでの祭事の際に臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇であり、本来は常設ではなかった。例としては沖縄の御嶽(ウタキ)のようなものだったと考えられる。by wikipedia
神社本庁所属の神社でも、例えば白山神社は被差別民救済(東日本の被差別部落に白山神社が多く祀られている)、熊野三山神社は女性タブー視せず平等をうたっている(昔は女性禁制の聖地が多かった)。
う~ん、分類方法がイマイチしっくりこないのですが、このまま投稿します。
御岩山の188の神々です。
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