井の頭池の南西に隣接する大盛寺の別当寺(本坊)が井の頭池にある井の頭弁財天。
赤い橋が印象的です^^
狛犬のお顔が思わず笑っちゃいます^^
江戸時代・明和八年(1771年)作者不明
井の頭弁財天堂は、『井之頭略縁起』によれば平安時代の天慶年間(938年-947年)源経基が創建したものと伝えられ、その後源頼朝が1197年(建久8年)に再建し、別当となる坊舎が立てられたと伝えられる[4]。1333年(元弘3年)新田義貞が鎌倉を攻めた際に焼失し衰退していたが、江戸時代に入り3代将軍徳川家光によってようやく再興されたという。1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受け、現在の堂舎は昭和初期に再建されたものである[4]。 縁起によれば、本尊の弁財天像は789年(延暦8年)[5]平安時代の僧で最澄の作と伝えられている[6]。大盛寺 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
思ったよりも歴史があってビックリでした。井の頭池に面しているので空気の滞留がなく、とても清々しい空間でしたよ。
弁天堂の正面から左手奥へ進んだところにある七井不動尊の小さなお堂。
宇賀神 ちょっと愛くるしいですね^^
神名の「宇賀」は、日本神話に登場する宇迦之御魂神(うかのみたま)に由来するものと一般的には考えられている(仏教語で「財施」を意味する「宇迦耶(うがや)」に由来するという説もある)。
その姿は、人頭蛇身で蜷局(とぐろ)を巻く形で表され、頭部も老翁や女性であったりと諸説あり一様ではない。元々は宇迦之御魂神などと同様に、穀霊神・福徳神として民間で信仰されていた神ではないかと推測されているが、両者には名前以外の共通性は乏しく、その出自は不明である。また、蛇神・龍神の化身とされることもあった[1]。この蛇神は比叡山・延暦寺(天台宗)の教学に取り入れられ、仏教の神(天)である弁才天と習合あるいは合体したとされ、この合一神は、宇賀弁才天とも呼ばれる。宇賀神 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井の頭池には、こんな伝説もあるそうです。
お金が増えるように1万円札を洗ってみました。 ウソです(笑)
もともと河の神様のサラスヴァティーですが、河の(水の)流れの音が、音楽や豊かに溢れる言葉を連想させることから、音楽をはじめとした芸術や学問全般の神様としての信仰も集めました。 また日本においては、農業や穀物の神様である宇賀神と習合して、五穀豊穣の神様としても崇められ、さらには「才」を「財」に置き換えて、財宝を授ける神様としての信仰がもっぱら盛んになったのでした。 井の頭弁財天にも、本堂の裏手に、龍の形をした銭洗い弁天がございます。こちらでお金を洗っていただくと、きっと財産が増えるご利益があるでしょう。
井の頭池の対岸より。絵になりますね^^
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