またまた所用次いでに(笑)
国領神社・・・国道20号(甲州街道)沿いに面しています。京王線に「国領」という駅があって、この辺りは調布市国領町。「国領」の地名は、武蔵国の国府が管轄する国衙領であったことにちなみます。
国道20号と国領神社
ものすごく大きな藤棚があります。藤の咲く時期はキレイだったんだろうなあ。目にも鮮やかな黄色いワンピを着た黒人の女性が自転車で参拝?に来られていました。
拝殿
境内は、藤棚による光の陰陽が美しかったです。
藤棚を突き抜けて・・・
脇の入口からも・・・・
国道20号に架かる陸橋の上からは、神社は、まるで森のようでした。
創建年代不明。鎌倉時代に多摩川のほとりに鎮座していた第六天社が元で、神仏分離により、神産巣日神をご祭神とし、國領の鎮守社に。昭和38年に現在の地(神明社)へと遷座。
境内には、樹齢400~500年とも言われている御神木の「千年乃藤」があります。調布八景の一つ。
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参拝後、野川沿いを北上。
野川
良い川沿いの散歩道です。
野川
国分寺の野川源流の湧き水が、あちこちの湧き水を抱き、多摩川へと合流します。
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野川を北上すると、グーグルマップに「虎狛神社」という神社が出てきました。
名前が琴線に触れたのでお参りに^^
境内は、武蔵野によくある雰囲気でした。
本殿はしっかりと覆われていて中が見えませんでしたが、文化財ようです。1683年建立。
お~、拝殿には「虎」の装飾彫刻が。
さて・・・この神社、ググってみたら・・・・
武蔵国多摩郡の延喜式内「虎狛神社」の論社でした!
虎狛神社(こはくじんじゃ)は、東京都調布市佐須町の深大寺周辺にある神社。祭神は大歳御祖神。武蔵国多摩郡の延喜式内「虎柏神社」の論社。旧社格は郷社、旧佐須村の鎮守。
崇峻天皇2年(588年)2月に、大歳御祖神を勧請し創建された。[2]
その後、満功上人か天平5年(732年)に深大寺を創建した。虎狛神社に満功上人の祖父母が祀られ、深大寺の守護神とした。[3]
満功上人の祖母「虎」、里長だった祖父「右近」が住んでいた佐須村の旧名「狛野の里」が、社名「虎狛」の起源とされている。なお、満功上人の祖母は、朝鮮半島からの渡来人と考えられている。[3]
その後、満功上人が天平勝宝2年(750年)に創建した虎柏山日光院「祇園寺」が虎狛神社の別当となり、江戸時代まで祭司を行った。 虎狛山祇園寺には、満功上人の父母が祀られている。[2]満功上人の父「福満」は渡来人、母は祖父「右近」と祖母「虎」と娘であった。
虎狛神社 (調布市) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年1月14日 (木) 12:42
この祭神、大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)ですが、神大市比売(かむおおいちひめ)の別名、女神さまです。
佐須村の旧名「狛野の里」が、社名「虎狛」の起源とありますが、「狛」は「高麗」がルーツであり、
以前投稿した、下記にも
666年 百済の男女2000人余が東国(関東地方+山梨・静岡)へ。高麗王若光も。
とあります。すなわち、上記に出てくる「渡来人」はこの頃渡来した高麗の人たち、もしくはその子孫の事ではないかと思うわけです(あくまで私的考察)。
また、
『古事記』にのみ登場する神で、須佐之男命の系図に登場する。大山津見神の子で、櫛名田比売の次に須佐之男命の妻となり、大年神と宇迦之御魂神(稲荷神)を産んだ。
須佐之男命や子の大年神・宇迦之御魂神を祀る神社は非常に多いのに比して極端に少ない。
神大市比売 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年1月30日 (土) 02:28
この姫様を祀る神社は少ないんですねー。とても良い出会いとなりました^^
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