2022.3 横浜の有力な式内論社とされる杉山神社4社のうち3社を参ってきました。
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は、主に五十猛神(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社である[1][2]。
旧武蔵国における式内社の一社とされるが、その論社とされる神社は現在の神奈川県横浜市を中心に川崎市、東京都町田市、稲城市などに数十社存在する[3]。
杉山神社 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年12月27日 (月) 18:43
・杉山神社 (横浜市都筑区中川)
近くまで車で行ったのですが場所が良く分からず断念。こちらも有力な式内論社とされる杉山神社です、走っていても大きな観覧車が見えてましたよ。
港北ニュータウンのランドマークでもある『モザイクモール港北大観覧車』
高さ:地上67m 観覧車の直径45m 1周にかかる時間:約12分 だそうですよ。
港北ニュータウン、でかいです。キレイです^^
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で、今回参拝した杉山神社は、
・杉山神社 (横浜市港北区新吉田町)
・杉山神社 (横浜市都筑区茅ケ崎中央)
・杉山神社 (横浜市緑区西八朔町)
まずは、杉山神社 (横浜市港北区新吉田町)へ。ここは周りに畑があったりして長閑な感じの場所でした。
境内入り口 小高い山に鎮座しています。
大國魂神社とも関りがありそうですね。近くには古墳や貝塚もあるようです。
境内社
拝殿
立派な狛犬です。明るく透明感のある神社でした。
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続いて、杉山神社 (横浜市都筑区茅ケ崎中央)へ。
境内入り口 都築中央公園の南東の端に鎮座しています。
キレイな湧水が流れています。
拝殿
稲荷社
キリっとした拝殿です。
ここも周辺に縄文遺跡があり、本殿の裏手高台には貝塚があるようです。
参拝後、湧き水の流れの上へ向かうと都筑中央公園遊水池がありました。都筑中央公園には、複数個の「谷戸(やと」(丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形)の保持がされています。湧水由来の流れがある所が3つあって、一つの湧水は、ここ「宮谷戸池」を形成しています。流れ出る早渕川は、横浜市青葉区美しが丘西に源を発し、横浜市都筑区、港北区を流れて横浜市港北区綱島西付近で鶴見川に合流します。この鶴見川水系沿いに杉山神社は点在しています。
「餌やり禁止」とありましたが、池に近づくとキンクロハジロ(カモさん)が寄ってきましたよ。
とても良い公園でしたよ。
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最後に、杉山神社 (横浜市緑区西八朔町)へ。
場所が分からなくて、お隣の極楽寺の近くの民家の、車を洗車していたお姉さんに教えてもらいました。
参道入口
川崎町田線を挟んで境内入り口へ
参道階段
入り口の空間がとても良いです。
鳥居
力石
拝殿
どっしりとした立派な拝殿でしたよ。
稲荷社
ここも小高い丘の上に鎮座しています。
有力論社4社のうちの3社を参りました。どこも小高い丘に鎮座していて似たような佇まいでしたね。
杉山神社(すぎやまじんじゃ)は、主に五十猛神(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社である[1][2]。旧武蔵国における式内社の一社とされるが、その論社とされる神社は現在の神奈川県横浜市を中心に川崎市、東京都町田市、稲城市などに数十社存在する[3]。
杉山神社は周辺地域に住む民衆の信仰の中心として鶴見川水系沿いを中心に拡大したとされるが、謎の多い神社である。鶴見川の他に帷子川および大岡川水系、多摩川の右岸(川崎市・稲城市)に存在するが、多摩川を超えた領域には存在しない。
平安時代の貞観11年(869年)に編纂された『続日本後紀』では「枌山神社」と記述される古社で、同書では当社が承和5年 (838年)2月に官幣を賜り、また承和15年(848年)5月には従五位下を授かった旨が記されている[4]。さらに延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』では「武蔵国都筑郡唯一の式内社」との記載もされている。しかしその本社は比定されておらず、未だ多くの論社が存在する。なお、論社のうち現在では横浜市(緑区西八朔町、都筑区中川および茅ケ崎中央、港北区新吉田町)にある4社が最有力とされている[5]。
名称の由来については、杉山に祀られていたという説や樹木の神である五十猛命と杉林に因むという説、船舶材として使用されていた杉の木に因むという説など諸説ある[6]。また当社の由緒についても不明な点が多いが、出雲民族の末裔(五十猛命)が紀州熊野より海人族を引き連れて伊豆半島や三浦半島に辿り着き、後者を経由して鶴見川水系に住み着いた一族の頭領が杉山神社を創建したという説がある[6]。な
茅ケ崎中央の杉山神社に伝わる由緒では「天武天皇白鳳3年、安房神社神主の忌部勝麻呂(紀州系忌部氏)によって武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命(天日鷲命)・由布津主命(阿八別彦命)の3柱が祀られ、同氏の麻穀栽培地開墾の拡大とともに神社も広まった」とされている。当時の都筑郡は開拓者である忌部氏の勢力が強く、多くの古墳や環濠集落が作られるなど武蔵国府の支配外にある一つの小国を形成しており、古東海道も横断する物資の集散地であった。ただし、杉山神社の始まりが忌部勝麻呂によるものとされることについては『新編武蔵風土記稿』で記載されているものの、他に文献資料などが残っておらず根拠としては乏しいとされる[1][5]。
杉山神社 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年12月27日 (月) 18:43
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