一時期、浅間神社参拝に凝りまして浅間神社の投稿も多いと思いますが、どこも個性的です。
富士山南側へ。十里木を通り、裾野市へ。「富士山南口下宮・須山浅間神社」を尋ねました。
立派な駐車場に止める直前、目の前を黒っぽいシカが横切りましたよ。ビックリ^^
駐車場にはクルマが一台のみ。トイレもあってよく整備できていました。さすが「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されているだけはありますねー。
駐車場から神社へ歩いていくと・・・道路下に立派な鳥居が・・・。手前は川で、まるで結界が貼られているようでした。
鳥居や参道等を含む境内の全体は、御神木とされたスギを含め一群のスギの巨木(樹齢400~500年以上とされる20本程の巨木)に覆われていて神聖な雰囲気に包まれています。
拝殿(平成25年(2013)改修)
ヒノキの良い香りが漂っていましたよ。
本殿
覆屋内に所在する現在の本殿は1823 年に再建されたものであるが、社伝によると神社の創設は日本神話の時代にまで遡るとされ、社殿に残る棟札によると遅くとも1524 年には存在していたことが推測できるそうです。
1707 年に発生した宝永噴火によって被災した須山口登山道が、1780 年に本格的な復興を遂げると、富士山よりも東側を中心とする地域から多くの道者が須山浅間神社に立ち寄るようになりました。
しかし、1883 年に御殿場口登山道が拓かれたことなどにより、須山浅間神社を訪れる道者は次第に減少し、現在に至っている。(東海道線の開通により御殿場登山口の開通や大野原を通る須山口登山道が旧陸軍の演習場になるなどした)神主さんによると年間20人くらいだと^^;
本殿に向かって右側の覆屋
内に所在する古宮神社は、その名称及び17 世紀のものと推定される梁の形状から、須山浅間神社の旧本殿であると推測されています。
覆屋に向かって拝み、中を一生懸命見ようとしていたら、社務所から神主さんが出てきて、「開けましょうか」と^^
ありがたいです。
扉を開けていただいて古宮神社を参りました。
写真もOKとの事でしたので撮らせて頂きました。
慶長16(1611)年に建立されたものと考えられているようです。
500年前かあ・・・・社叢には、樹齢400~500年以上とされる20本程の杉の巨木があります。同時期に植えられたのでしょうか。
その後、神主さんが、拝殿内も見せて頂けるとのことで・・・ホントにありがたいです。ご親切です。嬉しいです^^
美しい拝殿内です。高揚感を伴いつつも厳かな気持ちに・・・。
ヒノキの香りが充満していましたよ。
御祭神:木花開耶姫命・天津彦穂ニニギ命・大山祇命
景行天皇(110)の時代、日本武尊・蝦夷征伐時に浅間神社を創起。
欽明天皇(552)、蘇我稲目が再興。
いずれにしても古くより、山岳信仰、噴火による浅間大神を祀ってきた。
拝殿内にあった写真です。
古い時代のかやぶき屋根の拝殿や上部がしめ縄のような鳥居が素晴らしい。
境内は、樹齢400~500年以上とされる杉の巨木に囲まれています。
ハート型
鳥居をくぐって石段を登ってすぐ左にある石灯籠の穴から^^ 本殿は石段より少し左にずれていますが、ここから覗くと真正面になります。
で、なんでハート型なんだ???と調べてみました。
このハート型は、「猪目」と呼ばれ・・・イノシシの目をアレンジしたとの説。
猪や獣の目をモチーフとした由来では、獣の目力で魔除けの意味があるのだそうです。
イノシシの目を二つくっ付けてハート型にしたとか、猪の目尻の形に似ているハート型っぽいからとか、ググるといろいろありました。
また、なぜ寺院や仏具の装飾などに猪目模様(ハート型)を使うのか…ハート型はお釈迦様が悟りを開かれた菩提樹の葉の形だとされている・・・という説もありましたよ。
とても暖かい感じの社務所でした。境内もとても良い空気・空間でした。
右上に映っている丸いヒノキの置物に「健康長寿」を書いていただきました。
このヒノキ、樹齢150年と云われたんですが、帰って年輪を数えてみたら、スゴイ密な年輪で、ホントに150近くありましたよ。
いや~、神主さんも親切でしたし、ガイドもしていただいて・・・ホントに感謝感謝^^ たくさんたくさん良気を頂きました。ありがとうございました。
2016.10