2018.4 年に一度の健診後に健診場所の近くの神社を参拝しました。
まずは日本橋堀留町にある「出世稲荷神社」。
えっ、どこどこ?? 奥へ進むと・・・・
わお、壊れた洗濯機の奥だ^^;
手水舎(手水鉢)
拝殿
いや~、すごいところに立地していますわ。
扁額に「岩代稲荷神社」「出世稲荷大明神」拝殿内には金色のおキツネさんが見えます。
・御祭神:五穀豊穣の神様である倉稲魂命
・創建:江戸時代の初め、元和3年(1617年)
・北条家の浪人で、吉原遊郭を作った庄司甚右衛門の仮屋敷がこの場所にあり、その屋敷神として京都の伏見稲荷よりご祭神を勧請して祀ったのが始まり。
・江戸時代の歌舞伎役者である初代市川團十郎が、日参して祈願し名を上げたことから、出世稲荷神社と称されるようになった。
現在の吉原とここ堀留町はずいぶん遠いんだけどなあと思って調べたら、
・江戸幕府開設間もない1617年、日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)に遊廓が許可され、幕府公認の吉原遊廓が誕生したとの事。しかし、明暦の大火(1657年)で日本橋の吉原遊廓も焼失。幕府開設の頃とは比較にならないほど周囲の市街化が進んでいたことから、浅草田圃に移転を命じられた。以前の日本橋の方を元吉原、浅草の方は正式には新吉原(略して吉原)と呼ぶ。吉原遊廓 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
との事でしたよ。はじめは人形町に遊郭があったんですねー。知りませんでした。それにしてもすごい所にある神社でした^^
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つづいて、中央区日本橋小網町に立地する小網神社。
小網神社・・・・ビル群に囲まれた地に、おお~!と思わず声を上げそうな立派な神社が鎮座していました。
ビルに囲まれていますねー。
平日午前中の早い時間帯でしたが御朱印・参拝の方も数名おられましたよ。五角形の神楽殿も粋ですね~。
奉納灯・・・下側に奉納社の名入れ・・・なるほどなるほど、とても目に付くのでした^^
下町風情満載の境内でした^^ 立地上こじんまりとはしていますが明るい気を感じる居心地の良い神社でした。
由緒などはこちらに詳しく・・・・
「文正元年(西暦1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。そんななか、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、数日間をこの庵で過ごしました。ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕にたち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することを告げます。 夜が明け、網師翁の姿は庵にはありませんでしたが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願をつづけました。すると間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したといわれています。」
というわけで、この神社の起源は、お稲荷さんですがお狐さんが居ませんでした。「網師の翁を稲荷大神と崇める」がルーツだからでしょうかね?網師の網から「小網神社」になったのかなと思ったのですが、地名由来を見ると、
「江戸時代に将軍の御前で網を引いた漁師が御肴御用を命ぜられ、白魚献上の特権を得た故事により、この漁師たちの一丁目の町角に漁網を一張干しておく風習から生じた町名と推定される」(by wikipedia) とありました。
いずれにしても漁師の「網」の文字が取られているようですね^^
都心部の神社もなかなか面白いです^^
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