もずく@信頼は可視化していきたい派です。
cryptakさんならシステムの隙を狙ってまた何かやるかも…みたいなことは薄々思っていただろう古参の皆さんが盛り上がった(らしい)今回の投げ銭ランキング下ネタ(じゃないらしい)問題ですが、せっかくなのでちょっと違う視点から考察してみたいと思います。
今回の件に限らず、ALISで何か揉め事が起きたときに首を突っ込んでいく人たちって
自由派:自然(市場原理)に委ねるべき
統制派:信頼の可視化に向かうよう統制すべき
という感じの二派に分かれると思うんですよね。
自由派には次の2種類の人たちが混ざっている印象。
性格型自由派:面白ければいいじゃん、テンション下げんなよ
信念型自由派:あまねくDecentralizedでなきゃヤダ…!
統制派にも2種類の人たちが混ざっています。人が混ざっているというか、ケースによって同じ人でも立場が変わる感じ。
集権型統制派:ALISチーム(運営)がどーにかせーよ
分散型統制派:信頼の可視化はわたしたちで実現する!
ちなみに私は「信念型自由派(あまねくDecentralized)」なのですが、ALISのシステムはまだそれを実現できるところにないと考えているので、現状では「統制派(特に集権型統制派)」の立場をとることが多いです。
で、以下、それぞれの型・派について勝手に物申してみたいと思います。
ALISでは少ないかもしれませんが、ネット民全体では最も一般的な人たちだと思います。自治厨な人たちとよく揉めているイメージ。
統制派の人たちにとってはALISを「信頼の可視化」の理想から遠ざける天敵のような存在ですが、性格型自由派の人たちとは議論を避けたほうが無難です。議論の世界線が違ってしまっているので。
しかし、この派閥の人たちの考え方がインターネット一般では最もマジョリティであるということは、ALIS原理主義の皆さんも頭の片隅に置いておく必要があると思います。
すべての人にとって共通する「正解」や「信頼」なんてないんだから、ALISの仕組みがそれ許したのであれば、外部から統制をかけるのはおかしいでしょ…と考えている人たちです。
BitcoinやEthereumなどのDecentralizedな考え方に共感してこの界隈に入ってきた人に多そうです。かくいう私も基本姿勢はこの考え方です。
そういった信念の下、「おいおい、いまの仕組み(システム)だとこんなヤバいことができてしまうぞ」と悪戯してしまう人もこの派閥からは出てきます。確信犯というやつですね。cryptakさんはこのタイプじゃないかと私は勝手に思っています。
基本的に信念型自由派である私も、現状のALISに対してはこの立場を取ることが多いです。
運営に対して統制の求めるのは中央集権的なサービスだぞ…と指摘されたりもしますが、実際、ALISはまだ中央集権なサービスですし。いまのALISは「悪意を持ったユーザ」を含むコミュニティに対して完全な放任で回せるほどの仕組み(システム)を完成させていないと思います。
ALISチームは将来的にÐApp化(報酬や信頼スコアの算出プロトコルをスマートコントラクトに実装)を目指すということですが、同時に「ルールの裏をかこうとする人たちとのイタチごっこは永久に続くと思う」みたいな発言もあってよくわかりません。
以前にも書いたことがありますが、ÐAppsってビオトープみたいなものだと私は思っています。完成したビオトープは放置しておいても存続しますが、そうなるまでは様子をよ~く観察し、必要に応じて手を入れなくてはいけません。いまのALISはまだ完成する前のビオトープなので積極的に手を入れていくべき時期かと思います。
悪くいえば自治厨、良くいえばコミュニティベースでの調整です。運営に統制を求めるのは中央集権的だ!というなら、問題を早期沈静化するにはコミュニティによる積極的な自治しかないと思います。
おそらく、ALISチームとしてもこの分散型統制によってALISの「信頼の可視化」を実現させてほしいのだと思います。記事について問い合わせても基本的に通報数がなければ対処されないという話も聞きますので。
でも、現状では記事への通報くらいしか統制の方法がないので、もう少しチャンネルがほしいところ。「いいね」による自然な分散統制は正論ですが、「信頼の可視化」よりも「報酬」のほうが大切と考える人が多い現状ではうまく機能しませんし。
ともかく、コミュニティが二派閥(四派閥)に分かれてしまっている状態で分散型統制を機能させるのは至難の業ですね。
最後に、今回の投げ銭ランキング問題への個人的感想ですが、若い女性たちをユーザに引き込んだ直後のタイミングとあって、気持ち的には以下の記事のコメントに書いたとおりです。
タイミングいとわろしですよ、ホント。