自己をあらゆる武器で守ろうとしない制度は、事実上自己を放棄している。
どうも、アドルフ・ヒトラーこと、noDta(ノディータ)です。
今日は私の心掛けていることを少しお話します。
各所(ALIS以外の媒体含め)での私の投稿を読んでお気づきの方もいるかもしれませんが、私は、基本的に――
――を意識して文章を書きます。会話でも概ねそうですし、もちろん行動もそれに則ります。
みなさんは "I message (アイメッセージ)" という言葉を聞いたことがありますか?
ご存知の方も多いことと思います。著名な方々が "愛があるから I message" といったフレーズでNHKや各所の講演で語ってくれていたりしますから。
難しい話は抜きにして私の解釈でこれを説明すれば「己の発する言葉の "主語" を明確に "私" にする」です。これにより私の記事は "私は" や "私が" という言葉が多く含まれます。そのため読んでくださる方々にしばしば違和感を覚えさせてしまうことがあるやもしれません。
さて、前段では "心掛けて" や "意識して" などと記載したものの、実は、私、ほとんど無意識でこのスタイルにあります。どうも "エゴイストである私" には "I message" はぴったりのようで、すごく馴染みがよくて(笑)
なにせ、私の根幹にはーー
ーーという明確な指針があるので(笑)
これはしかし、私だけでなく、すべての人の "本質" だと私は思っています。私のようにハッキリと言葉にするか否か、明確に自覚しているか否か、の違いだけで、人はすべからくそうした生き物なのではないでしょうか?
だから私は人の為という言葉が好きではありません。人の為と書いて偽と読む、とは金八先生もよく言ったものです。この人の為という姿勢は確実に偽善です。それ以外はありえません。(思い切って断言します!)
「誰々のために〇〇をした」と考える思考ほど愚かなものはありません。そうした考えの人ほど「私は誰々のことを考えて〇〇してあげたのに――」と見返りを求めるような台詞を吐きます。(親が子どもに対して使う言葉の多くがこれです)
私は、以前、スイミングスクールのコーチをしていたことがあります。正確にはフィットネスジムのインストラクターで、その中の業務の1つに子ども向けのスクールがありました。
その際に教え子の親御さんから「子どものためにいつもありがとうございます」とよく声をかけられたものです。しかし私は即座に「いえいえ、自分のためにやっていますので」と返していました。もちろん己のために、嫌みにならぬよう、好感度を無闇に落とさぬよう、爽やかな笑顔で(笑)
この私の発言は綺麗事でなく事実です。紛うことなき、事実なのです。
第一に私は子どもが好きです。だから、単純に、好きだからやっていました。嫌いならそもそもやっていません。
第二に教え子である子ども達に老後の生活を支えてもらおう、という私の魂胆があります。
未来の私が年金を受け取るためには、子ども達に真っ当な大人となり、しかと働き、納税してもらわなければいけません。そうならなければ自分が困るので、私は水泳のみならず、人としての部分も意識して子どもたちをコーチしていました。
他にも、私は、同世代の人達の就職活動をサポートしていたことがあります。これについても「ありがとうございます」というお言葉を頂戴すること多々なのですが、私は即座に「いえいえ、私のためにやってますので」と返していました。
当たり前ですが、これも完璧に己のためです。
高齢化著しい現在の社会の負担を頭割りできる人数を少しでも増やし、己がラクをしたいからなので。同世代のニートとか(ぶっちゃけて言えば)マジで勘弁してほしい、です。私からすれば「さっさと働いて税金を納めろよ」と。「私に負担を肩代わりさせるなよ、1ミリたりとも」と。(言葉が非常に悪くて恐縮ですが……)
そうです。
私はすべての判断の基準、その軸に「私」を置いています。
彼女とデートするときにあれこれ喜ばせようと手配することも「私がそれをしたいから」と考えますし、家族のためになにかしらを負担することも「私がそれをしたいから」というスタンスです。彼女のために、家族のために、と考えることは微塵もありません。
他人から助けを求められたときに第一に考えるのも、言われるまでもなく己のメリットです。依頼された作業負荷に対し、得られる好感度や依頼者に恩を売っておくメリットを真っ先に考えますから、めちゃめちゃ打算的です、私は(笑)
っというわけで、私の場合、依頼を受ければ、まず「私は私のためにしか行動しないから期待しないでね」という回答をします。そのうえで「無理なくやれる範囲」で、やれることを、やれるだけ、対応します。ガッツリと責任を持ち、私事として対応する、ということは私の場合、己自身が直接関わっていない案件ではまず無理です。
こうした考え方の人間の場合、差は人間力で生まれます。
無理なくやれる範囲、がどれだけであるのか。能力が高く、それが広い人であればあるほど、器が大きく優れた人間として認知されることでしょう。逆は……推して知るべし、です。(ゆえに私はもっともっと精進しなければ!?)
私はヒーローはアホだと考えています。
ダークヒーローのほうが好きです。
そう、捻くれ者です(笑)
でも、よく考えてみてください。世界のために己が犠牲になるなんてアホの極み、と思いませんか? そのような考え方では己のまわりも巻き込んでいるに違いなく、ヒーローぶってる人間というのは、総じて、己のまわりにもっとも高い負担を強要します。
私は真逆で、私を中心として近くにいる人間から順に優先度を高くします。それはもう、エゴイストですから当然です(笑) だから自分の大切な100人と知りもしない10億人の命運が天秤にかけられたなら、迷わず、一瞬の躊躇もみせず、即断即決で、10億人を切り捨てます。(もしも迷うとしても、それは対応後の己の好感度の部分だけ、かな(笑)) 川で溺れている2人(子どもと老人)がいて 、浮き輪が1つしかなかったなら速攻で子どもを助けます。(あっ、もし同じ年齢の2人であったなら、個人的な趣向から女性を助けます(笑))
っと、そんな私のあれやこれやの考えはさておき、一般的に「"I message" を意識すると己の行動に責任を持てるようになる」そうです。己に責任を持つ、それこそが自律でしょう。
日本人はとりわけこれを意識しなければいけない民族だと私は思います。なぜなら日本語がそうした言語だから。英語の場合は改めて意識せずとも "I message" なのです。単純にそういう言語だから。
google翻訳を使って英訳をしたことがある方は心当たりがあるのでは? 日本語をそのまま英訳すると(英語が苦手な人間ですら一目でわかるような)おかしな英文になることがありますよね? 私調べでは、これは大半が主語が不明確なときです。もちろん深く考えずともうまく英訳されるときも多いですが、その場合にもきっちりと主語が補填されていることを、みなさん、お気づきでしたか?
美容師をしています。
(上記を英訳)"I" am a hairdresser.
(上記を和訳)"私は" 美容師です。
息子は美容師をしています。
(上記を英訳)"My" son is a hairdresser.
(上記を和訳)"私の" 息子は美容師です。
そうです。英語では主語を明確に示す必要があるのです。対して日本語は主語をぼやかすことが可能な言語です。だから翻訳サイトで正しい英文となるよう日本語を微修正していると、気づけば "I message" になっていることが多いのです。
上記は某かのソースや研究結果による裏づけがあるわけではなく(私が知らないだけでありそうですが)、あくまで言語学者でもなんでもない一般人である私の肌感覚です。
しかし、自分としてはそれなりに納得しています。
己の発する言葉が己の行動に与える影響は大きいです。だから私は、この言語の違いこそ、英語圏の人と日本語圏の人との違いを生んでいるのだと思います。どちらが良いとか悪いとかではありませんが、自律に関してだけを見れば、私は、英語圏のほうが進んでいるように感じます。英語圏の小学校や中学校でのディスカッションやスピーチ、その中で行われる生徒たちの自己主張の様を少し見てみれば、彼らがものすごく早い段階(小さい頃から)で自律していることが伺えます。(もちろん言語特性による差だけでなく、教育や環境の差も影響しているのだとは思いますが)
ここで少し横道にそれますが――
自殺者を止める際にも、この "I message" が有効だそうです。これについては、昔、TVで見ました。(っが……すいません、番組名は思い出せません)
みなさんは「屋上から飛び降りようとしている人を見つけたとき」、どんな言葉を投げ掛けますか?(とりあえず引き止める前提で少し考えてみてください)
"あなた" が苦しいのはよくわかる。
生きていれば、きっと "あなた" にも良いことがある。
"あなた" の大切な人が悲しむとになる。
これら "相手(あなた)" を主語に据えた言葉を思い浮かべてしまったのならば、それは悪手です。非常に効果が薄いそう。「あなたの気持ちはよくわかる」とかまでいってしまったなら、ともすれば逆効果です。「おまえに俺の何がわかる!」という反論をまねく鉄板コースですから。
確かに反論どおり、ですよね?
エスパーでもなければ、他人の気持ちなんて本当には分かりません。けれど、同時に、それは相手にも言えるわけです。だからこそ I message が有効なのです。「(あなたがどう考えているかは分からないけれど) 私は、あなたが死んだら悲しい」と言えば、相手側はそれを否定できません。相手には私の気持ちが分かるはずがなく「嘘を言うな!」とくれば「おまえに俺の何がわかる!」とカウンターを喰らわせられます。「お前が何と言おうが、俺は、悲しいんだよ!!」っと。
ちなみに私の場合は、おそらく――
「こんなとこで死なれたら "私" が迷惑だ! 辞めてくれ!!」
「なんで "私" が死体なんて見せられなければならないんだ!」
「寝覚めが悪くなるだろう!」
「しばらく焼き肉を食べられなくなったらどうしてくれるんだ!」
「"私" に迷惑をかけないところで死んでくれ!」
――っと、こんな感じです(笑)
とりあえずまあ、長々と意味もなく書き連ねてみましたが、なにを言いたいかといいますと、私が前回の記事で少し触れたように分散社会では自律が必須です。自律促進剤として、みなさまもぜひ "I message" を心がけてみてはいかがでしょうか?
P.S.
(怒られるかもしれませんが)私は、"ナイチンゲールですら、某か己のために行動していたはず" 、と考えています。
本当に他人のためだけに行動できるのは、それこそ 神様かAIのみ!!
言葉で伝えることが非常に難しい内容なのですが、既に長文になってしまっているので、今回はこの辺りで。気が向いたときに加筆修正します。ではでは、また。
マイページへはこちらからどうぞ!
自己紹介へはこちらからどうぞ!!
"いいね(ハートマーク)"のポチっを、ぜひお願いします♪