沖縄県は、第二次世界大戦において地上戦が行われた場所のひとつです。
地上戦開始の前年、後に沖縄や奄美諸島を守備する「第32軍」が編成されました。
第32軍の編成の内、主に沖縄本島地域の守備に関連した部隊は、第9師団・第24師団・第62師団・独立混成第44旅団で、1944年12月に第9師団が台湾へ移駐してからは残りの2個師団1個旅団で沖縄本島を守ることになりました。
今回紹介するのは2個師団のひとつである「第24師団」の司令部だった場所です。司令部は建物ではなく、地面に掘った防空壕の中に置かれました。この壕は沖縄戦の中盤、第32軍が首里においた第32軍司令部を放棄し、本島南部に撤退されるまで使用されました。この壕を放棄した第24師団司令部は、少し南にある宇江城集落の「クラガー」という場所に移動し、そこで第24師団師団長であった「雨宮巽」中将と以下将兵は1945年6月に自決、第24師団司令部は最期を迎えました。第24師団隷下の部隊は、師団の長がいなくなっても終戦以降まで戦い続けました。
現在でも、司令部壕跡は森の中に残っています。
壕の入口から急斜面となっており、地下へと続きます。
急斜面を10m程降りると緩やかな斜面へと変わり、幅1.5m程の通路を進んでいきます。
人の手で構築された壕なので、崩落の危険もあり土嚢で補強されています。
戦後約75年経っていますが今でも壕内では遺骨回収などが行われ、火砲などが発見されることもあります。
壕内の様子は写真だけでは伝えきれませんが、師団司令部の壕だけありかなり大きな壕となっています。Youtubeに動画も投稿しているので、雰囲気を見てみたいという方はそちらを見てみてください🐶‼
仕事の傍ら、日本各地の戦争遺跡・遺構を巡ってます。
黒しばわんこの戦跡ガイド
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