今年も3月11日がやってきました。
昨年は当時何をしていたか、という観点でブログを書きました。
今年は震災から10年となり、震災以後のことについて書いてみたいと思います。
10年という節目感からか、テレビなどではこの一週間、震災に関する特集がずっと流されています。忘れないようにしようという取り組みは非常に大切です。一方で、当事者の方々は、復興が進めば進むほど、ふるさとの形が変わっていき、喪失感が増えていき、また次第にそのノスタルジックな感覚を忘れていってしまう、という声もききます。
忘却というのは人間に備わる、生きるための重要な仕組みですが、なんとも正解のない問題だとこのところ強く感じています。
Twitterで、ハッシュタグ「#あれから私は」というのを見つけ、今回のブログのタイトルにしましたが、震災当時まだ保育園児だった長男はもう中学受験をする歳になりましたし、私自身、転職を2回するなど、10年でいろんなことがありました。
震災における社会のパラダイムシフトは、今般のコロナ禍で世界中に顕在化し、世の中は「モノ」などの形あるものを重視する時代から、情報や知識を重視する時代に急速に切り替わっていくでしょう。昨今、いろんなところで「土の時代」から「風の時代」へという言葉も聞かれますが(私自身はスピリチュアルな感覚はありませんが)、なるほどこれからは「カネでモノを手に入れる」という価値観から「カネで知識を手に入れる」という価値観へ切り替わっていくことは予見できますし、それに対応して「知を高める」という必要性がさらに高まっていると感じています。
私自身はあまり自覚がないのですが、人からは「あー、連獅子さんは典型的な双子座だねえ」と言われます。風の星座だそうです。即物的なものよりも情報や知識を重視するのは確かですし、今の仕事も知的財産に関するものが主体ですから、「風の星座」なのかもしれません。ただ、その傾向はやはり震災以後に切り替わったような感覚を持っています。
震災の日、私は横浜にいましたが、ガラケーでワンセグ放送を見ながら、津波に街が飲み込まれていく様を見て慄然としました。まさにいま生きている人が、海に飲み込まれていく様子は、強く心に残りましたし、ある種の「世界の終わり」「時代の終焉」を感じた日でもありました。それは自分の生き方という意味で正しい感覚だったと思っています。いくら豪華な家を建てても、高いクルマに乗ってても、災害で一瞬で失われる。しかし、自分自身の知識は、生きている限りは失われないし、それを子供に伝えていけば、ずっと残るんじゃないか、そういう価値観へとこの10年で変わってきました。
急にゲームの話になりますが、有名なPCゲームで「RUST」というオンラインゲームがあります。最近、XBOXやPS4に移植されたらしいですが、このゲームでは「ワイプ」というサーバーリセットが定期的に発生します。たとえば一ヶ月に一回「完全リセット(BPワイプという)」、一週間に一回は建造物やマップなどのリセット(通常のワイプ)が行われるという具合です。この通常のワイプでは、自分が作り上げた建築物などはすべて失われるのですが、それまで自分が得た知識(アイテム等を作るための技術)は失われないので、知識を溜め込んでいた人はワイプ後にまた裸一貫で放り出された後、周りよりも有利になる、というものです。
こうした価値観が、現実世界でも起きているのだな、と思っています。
そうした中で、「自分の情報を後世に残したい」つまり端的にいえば「名を残す」ということに高い優先順位を感じるようになりました。まあ、現在は日々公文書を作ることを仕事にしているので、自分の名前は相当な期間残るんですけどね。
こうした価値観は、比較的早くから私は持っていたのですが、齢70になる実父も、どうやらそうした感覚を持つようになったらしく、、、
最近ブログの更新ができてない理由の一番の理由がこれなんですが(言い訳)、実父が遺言状を書きたいと言うのですよ。ちなみに超絶に元気で、日々フィットネスジムで若い先生のプログラムに嬉々として参加しています(ほぼ毎日通っている)。
遺言状で、自分の財産を自分の孫(つまり私の子。まだ小学生)に相続したいとのこと。私には他に兄弟がいますが、兄弟や、配偶者(私の母)には相続せず、もちろん私にも相続しないと。まあ、それ自体は好きにしなよ、という感じではあるのですが、任意後見人をどうするとか、諸経費やらで司法書士と打ち合わせたり、財産のほとんどの部分を占める現在の住居の登記がどうなるかなど、いろいろと場合分けをしてシナリオを考えなければならず、そしてなぜかそれらを「おまえにまかせた」などと任命されてしまったので、急に新しく勉強することが増えてしまいました。すべて司法書士に任せるなんて、そんなことはしたくありませんからね(私も法律家のハシクレですから)。
そんなこんなで、震災から10年、私や周囲、世の中の「価値観」が変動していくなあ、と巻き込まれながら考える今日このごろでした。
とりとめもないですが、今日はこのへんで。
そろそろ午後2時46分になります。黙祷。