朝から計画が失敗し、自己嫌悪。
続きです。
しかし、自分を嫌な気持ちにするか楽しくするかは、自分次第!
嫌な気持ちを引きずる時間を長くしたくはない。
しかし!切り替え力鈍ったかなぁ、などと思いつつ、歩き出した。
いい天気だし、人もいないし、気持ちいじゃん。
今日のまわる順番、逆にすればいい。そうしよう。
というわけで、最初に向かった清涼寺。
単焦点レンズなので、離れないと全然入らないんだよね。
この時間からここはなぁ、朝にこそ行きたいところあったのに、と、まだくよくよ。
他にも参拝者がちらほら。
清凉寺の場所には、もともと、光源氏のモデルと言われる、源融(みなもとのとおる)の別荘があった。
一周忌のころ、896年、源融がつくりたかったのにつくれなかった阿弥陀三尊像を子息がつくって、それを安置する阿弥陀堂をつくり、棲霞寺(せいかじ)とした。
それから数十年後に、宋に渡って五台山を巡礼した東大寺の僧、奝然(ちょうねん)が、
釈迦が生きていた時に釈迦を模してインドで作られたとされる像を模刻した像を日本に持ち帰った。
安置するお寺を作ろうとしたが、反対にあい(比叡山延暦寺に対抗しようとしたりしたそうで)、奝然が亡くなった後、弟子の盛算(じょうさん)がここに釈迦如来像を安置するに至り、華厳宗を開山し、五台山清凉寺としたそう。
(wikiを参考にかなりはしょった。)
つまり、釈迦が生きていた時にインドで作られた像を中国でまねして作らせて、日本に持ってきた。それをここに安置。
釈迦にそっくりに作ったのをまねしたから、つまり、釈迦にそっくりな像!ということらしい。
それもインドから、中国、中国から、日本へやってきた(インドから中国っていうのは、物体としては同じではないわけですけれどね。)
三国伝来の像、お釈迦様生き写しの像と呼ばれる
本尊三国伝来生身釈迦如来像(国宝)は、特別公開の時にだけ公開される。
というわけで、その日は公開されていた。
中はとても広くて、中央に、本尊三国伝来生身釈迦如来像が置かれているのだが、身長160センチほどのその像、かなり個性的に見えた。
まるっこい顔で、体も、ゆるいカーブの、寸胴系というのか、割とシンプルな体つき。かわいい感じ。
この像の大きな特徴は、体の中に、五臓六腑が入っていたということ。
もちろん、作り物・・・・シルクで作った、布製の小さなクッションみたいな内臓が入っていたそうで。
それだけでなく、この像の中にはいろいろと入っていたようで、清凉寺は国宝や重要文化財をたくさん持っているらしい。
本堂の中には、五代将軍徳川綱吉と生母桂昌院寄贈品っていうのがやたら目についたが、御本尊がやってきた顛末を描いたような絵もあって、それが面白かった。
奝然(ちょうねん)が、釈迦如来像を背中にしょって、山道を歩いているわけだが、途中で、釈迦如来像が、奝然をしょって歩いてる!
釈迦堂の中は資料が置けるほど広い。
釈迦堂の奥から建物の外へ。
立派な鐘が置いてある。
渡り廊下、人が入らないうちに写真撮れた。
弁天堂は江戸末期のものらしいが、源融の時代には、貴族の別荘だったという優雅な雰囲気が漂っているような気がした。
気のせいかな。
池遊式庭園、紅葉の時は豪華なんだろうな。
渡り廊下から見た弁天堂。これを昔の人はどういうこと思ってみてたのだろう。
渡り廊下を進むと、大方丈という部屋がある。
方丈っていうのは、僧侶や隠遁者が使った折り畳み式の部屋みたいなことを、wikiで書いてあったが、これも綺麗にばらせるのかな。
もとは、家康と実母のおちかの方が、6歳で早世した徳川家康の息女一照院の位牌所として寄進したものだったそうだが、1637年に焼失。
今あるものは、1716~1735年、造営だそう。参照↓
大方丈の前の枯山水の平庭は、小堀遠州作とのこと。
小堀遠州は、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた大名。名前はよく見るが、どういう人かは知らなかった。
wikiに、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家、とあるが、千利休、黒田如水、古田織部といった、茶人の名前が遠州の周りに出てくるし、本人、晩年は茶の湯三昧だったというのを見ると、この人も、時代に振り回されたのかなぁと思ったり。
10月の庭は、なんだかめりはりがなかったが、これは、撮影に問題があるのか?
全体的に、緑がぼうぼうだけれど、緑も季節的には疲れてる頃。
この疲れた感じの庭を見ながら思ったのは、こすもすさんの記事の中の写真で、このような京都の神社仏閣の苔っぽい地面の写真は、光の当たり具合とか、湿り気とか季節とか、時間とか、すごいちゃんと考えて、一番きれいに見えるときに撮りに行ってるんだろうな!ってこと。
なかなかそんなきれいに撮れないですよ~~
ちなみに、こすもすさんも、清凉寺の記事書かれてます!
ちょうど、梅の清凉寺!!
さて。この話、記事にするために、釈迦如来像のこと調べたり、小堀遠州がとか方丈がとかいちいち書いたけれど、実際には、
本堂で、釈迦如来像を興味津々に見て、釈迦如来像が僧をしょってる絵を楽しく見て、廊下渡って、方丈ちらっと見て、そのあと、霊宝館を見学したのでした。
そこが第二のハイライトとなった!
というのも、特別公開で、見ることができた、阿弥陀三尊像など、印象的な
仏像があったから。
清凉寺の阿弥陀三尊像(木造阿弥陀如来及両脇侍坐像)は、座像で、中尊が座ってても180センチほどの高さがある、つまり、結構大きい。三尊とも座像っていうのは珍しい方とか。
国宝展などに気合い入れて行って、見るような仏像を、超目の前で、どーーーーんっという感じで見る。
・・・で、その阿弥陀三尊像の真ん中の像は、源融をモデルにしたと言われているそうなのだが、仏像の中ではかなり、スタイルよくかっこいい像!
脇の像も引き締まってて、マッチョ系というのか。
顔つきもきりっとしてるし。
二尊の手のスタイルも動きがあって、三尊並んでかっこいいのだった。
何回カッコいいって言ってるんだよw
霊宝館は、建物自体は、ここ、ちょっと、大丈夫?と思うような、割と古くて、今よく美術館みたいになっているお寺の宝物館とは違って、誰かの家かと思うような建物なのだが、そこに平安彫刻の国宝やら、本堂の釈迦如来像の体の中にあったもの(国宝)など展示されている。
特別公開でも、あんまりわくわくしないことも多いのだが、清凉寺のは思いのほかに楽しめた。
面白い釈迦如来像と、かっこいい阿弥三尊像があるから、見て!って、友人に言ってみたが、今のところ、反応してくれた人はいない。
清凉寺見るの、割と時間を使った。もともとの予定と逆の順番に回るので、時間を考えて、行くところを絞ることにした。
(続く)