アップリンクの見放題で選んだ、今日の映画は、
「シーモアさんと、大人のための人生入門」
なんだよ、この酷い邦題・・・原題は何か見たら、
SEYMOUR AN INTRODUCTION
なのかな。だったら、シーモア氏の人生の概論 とか?
手引き、だけだと弱いから・・・
この映画はクラシックに興味ない人にはつまらない映画、ではない。
上に貼った、映画の公式ページに、シーモア・バーンスタイン氏の言葉のページがあるのだが、そこ読んで、なんか手抜きだと思った。
こんなふうに羅列しても、その言葉読んだ人に意味届かないじゃんって。
言ったことをそのまま書いても、前後がわからないなら、もっとうまく抽出しないと、言葉が言葉だけになる。
シーモア・バーンスタイン氏は、家族は音楽一家ではなく、幼い時にピアノ弾きたくなって、中古のピアノをもらったのをきっかけに、ピアニストとして歩みだす。
従軍先で、ピアノ弾きたい!兵士のために!と、ピアノも弾いた。
過酷な土地での30キロの歩行時に、彼が元気だったのは、ピアニストとして鍛えてきた精神のおかげだったと、彼は言っていた。
彼のピアノを聞きたい人の期待に応えるように、舞台で演奏してきたが、彼は舞台に立つのがいくつかの理由で嫌なのだった。映画の中で言ってるけれど。
で、50歳で舞台での演奏は引退したのだが、自分の才能を生徒の中で生かすごとく、ピアノ教師として指導している。
教えているシーン見ていて、この先生の教えについていくのは、泣きそうになるだろうなーーーーと思った。優しいんだけど、目指すものがものすごく果てしなく高いと思う。
本人がどれだけ追求探求してきたかも、映画観ていると感じ取れる。
彼が、ピアニストとして活躍始めた頃の話として、彼のパトロンの女性の話が出てくる。溺愛されて逃げ出したらしいが、その女性は宗教家であった。
映画の中で話す相手として作家であり詩人であり、神秘学者でもある友人も出てくる。
つまり、ピアノだけの話ではない。
シーモア・バーンスタイン氏の生き方、話、音色を通して観る、生き方案内といったところか。
観ながら自分がメモったこと。
音楽は感情の言語であり、普遍的言語。
信仰心がないと宗教は証明できないが、音楽は、目に見えないが心に染み入り、
純粋的歓喜を与えてくれる。
宗教は、救いを外(神)に求める。外である方が、操作しやすい(心の内側じゃないからね!)。
しかし、みんなが探している幸せ、霊的源泉、救い(一生幸せをもたらすゆるぎない幸せ)と言うのは、自分の中にある。
この映画を作ったイーサン・ホークは、行き詰っていた。今まで評価されてきた仕事は自分の望むようなものでなく、お金も名声も幸せにしてくれなくて、何のために生きるか悩んでいた。金のためでも宗教的使命のためでもなく、何のために生きるか・・・
シーモア・バーンスタイン氏は、嫌だった舞台での演奏をやめたあと、あらゆるものが鮮明になり、生命力を増したという。つまり自分により正直に生きることを選んだから。
イーサン・ホークは、人生を美しく演じたいが、その方法を知らないと言うと、
シーモア・バーンスタイン氏は、演技を通してできないのか?できるよね?と。
したいことをする、っていうのとはまた違うっていうのは、映画を観ればわかる。
天才的な人が、どこまでこだわって、何を求めて努力し続けているのか・・・自分が求めるものを自分でつかみとるたびに、歓喜するのだろう。
求めるものの達成はゴールない。内と外の一致を感じて喜ぶことも。
続けている限り、ずっと幸せ感じることができるってことじゃん。
この映画も、他カテゴリより、教育、でいいかなと。
しかし、ここ数日間、この手の道を究めていく人の映画をいくつか見たが、
色々見て、考えたところで、しょせん人の人生。
そして、彼らは長く長くやってきた。
長くやってきた、っていうところ、長い間の問題っていうところ、は、どの映画にも共通する点だと感じた。
自分が長くやってきたことはなんだろう?
それに気づいたら、それが好きな事なら、もっと長くやってみたらいいことかもしれない。
読んでくださり、ありがとうございます!