続きです。
亀石を過ぎてしばらく平坦な道。
平坦すぎ・・・
橘寺に到着。
到着ごろの写真もあるが、やはり平坦な似た感じの写真なので省略。
これまたすごいホームページだなと思ったら、jimdo.free って、jimdoの無料版か、freeって前入ってなかったような・・・
しかもこのサイトでほとんど情報が得られない。
ちょっとわかりやすい記事でこちらか。
wikiによると、日本書紀の中で680年に、橘寺での火事があったことが書かれているらしいが、はっきりしないことが多い模様。
だからと言って、何だ、、、って思うより、だからこそ、想像膨らませてみるのも自由。
入り口側が、寺の本堂の後ろ側なので、ぐるっと回る。
最初に目についたのが、石灯籠。
ちょっと変わってる。
この石灯籠は、本堂の正面の真ん前にある。
なかなか立派で、ゆったりとした感じ。中も風が通るような気持ちよさがある。
可愛らしいお守りをお土産用にいくつか買った。
馬の像があったり、
二面石があったり。
これはちょっと、ここの売りみたい。人間の、善相と悪相、二面性を表しているらしい。飛鳥時代のもの。
こまごまと、結構見るものがあり、楽しい。端っこの方へ行くと、眺望もいい。
狛犬も見てるね。
結構目に付くものが多くて、これでも写真減らしたのだけれど、
なんだこれ?って思うものがあちこち。
日、月、星の光を放ったという三光石とか、想像力?もすごいね。
橘の実。柑橘系。
もともと個々の名前は仏頭山上宮皇院菩提寺といい、垂仁天皇(すいにんてんのう)の命で、田道間守(たじまもり)が持ち帰った不老不死の非時香菓(ときじくのかくのみ)であった橘の実を、景行天皇が植えたことが始まりらしいが
垂仁天皇がまず、本当にいたかわからない・・・
田道間守は菓子の神様だそうだ。
昔、果物はお菓子だったそうだから、不老不死の薬みたいな果実を持ち帰った人ってことで、菓子の神様なのかな。
これも説明あるのだが、意味わからなかった・・・基準ってここからどこ?
何もかも伝承というわけでもないわけね。
当時の寺の中では珍しく、東向きだったとあるが、この寺の風通しのよさみたいなのは、何か関係あるのかな。
橘寺を後にし、振り返った時の風景。
やはり後ろに大きな丘のようなものが・・・
聖徳太子が生まれたところってあるね(結構シンプルというか・・・)。
道の向かいには、
何にもない?
いえ、これも史跡。
飛鳥の三大寺のひとつだったという、川原寺(かわらでら)があったところ。
弘福寺(ぐふくじ)ともいう。
この河原寺も、7世紀ごろ造られたようだ。
やたら日本書紀出てくるな。日本書紀凄いな~
橘寺、のんびりした気分になる、いい場所だった。伝承系が多いからかなぁ?
(続く)