LEE MINGWEI(リー・ミンウェイ)さんの、The Touristという展示を見に行った。
六本木交差点から、六本木ヒルズの間の道の、裏にある、ピラミデビルの一階にある、ギャラリーペロタン東京へ。
六本木は、なんだか悪いことばかり言われがちだが、昔からギャラリーも多いし、ファラフェル屋とかイラン料理その他各国料理の店もあり、六本木らしさが続いている。週末も、渋谷新宿あたりよりずっと歩きやすいので、人に会うにもよく使う。
さてPerrotinというギャラリー。もともとはパリみたいだが、他の国にもあるようで、画廊名は、人の名前。若い、アート好きが、おしゃれな恰好でひとりでやってきてそうな展示が多いような。
今回は、自分がちょうど考えていたことに関係するキーワードが、イベントの説明にあったので興味がわいた。
リー・ミンウェイさんの作品は、リレーショナルアートという、作る側と参加者が繋がって続けていくアートなのだが、今回の展示は、彼が世界のいくつかの場所で、ガイドしてもらい、そのガイドが是非彼に見せたいと思って連れてった場所で、彼が見たものの写真や、貰ったものなどを展示していた。
リレーショナル。
例えば誰かが写真を撮り、それを見て連想したりイメージを広げて写真を撮るといったことを以前友人たちとしたことあるが、その時はいまいちピンと来なくて、いつしか自然消滅した。
ここ、ALISでも誰かの記事を読んで、自分も何かを思い出し、書きたくなりということも多いだろう、そういうのも、リレーショナルアートのひとつだと考える。
海外に行った時に、例えば日本人が興味持ってしきりにうまく写真撮ろうとしているのを、現地の人は、なんであんなものに?と思うことあるだろうと想像する。
逆に、海外の人は、日本に来た時にどこを見て、何を思うのか。
そんなことに興味がわく。理由は・・・・自分の目をもっと開きたい、面白いものを見つけるヒントが欲しいからか?
頭も、目も、ほとんど使われていないと感じるから、もっと見えて、感じれたらと欲するのか。
先週、ドイツに亡命中のシリア人の映画監督の話を聞きに行った時、彼が、自分の撮ったものに対して、見た人の印象を知りたいと言っていた。
こちらは、シリア人、亡命中のシリア人が、日本のどこに着目するのか気になった。
相手が見せてくれることに対して、こちらが何か言うと、それで相手はまた考えたり、アイデアを得たりする。
そういうキャッチボールが作品を作っていくとなると、作家に会いに行くことはちょっとした、作品作りに参加できる感じで、日頃生活費を稼ぐために仕事をしていて作品制作だけで生きていくことができない状況にいるとしたら、ほんのちょっとだけ、創作活動に関われる美味しい味をなめさせてもらえるようで、安易で怠慢だけれど、嬉しい。アーティストにひらめきをかえせればもっと嬉しい。
リー・ミンウェイさんの展示の前に、トークイベントがある日だったので、話を聞くため、座って待った。
登場したリー・ミンウェイさんの姿は・・・・エレガントな中国風の服を着ていて、不思議なゆったりとした雰囲気を漂わせていた。
突然、背景が森の中になる、そんな感じがした。
彼が以前に行ったプロジェクト・・・Bodhi Tree Project
昔インドでお釈迦様が座っていたところにあった菩提樹。迫害を逃れてひそかにその一部をスリランカに運んだ人が、スリランカに植えたという。その大きな菩提樹の一部を、オーストラリアのブリスベンの美術館へ運ぶというプロジェクトをしたときの話を聞いた。
国宝レベルの木の赤ちゃんに旅させる。送り出すまでに起きたこと、送りだすと決まったときに、一週間、母の木の周りを人々が踊って回ったこと、オーストラリアに着いてからも検疫で半年かかったが、その時の担当者がたまたまスリランカ人で、その母木の近く出身だったことなど・・・目的地に着くまでに、赤ちゃん木は大きく育っていた、その映像にはほっとした。
人と人が影響し合って、それは共感よりもさらにひろがり、次の道を開いていく。
移動するのは、人だけでなく、モノも移動する。
今、どこでも世界のものが買えるかもしれないけれど、くだらない小さなものでも、誰かが誰かにお土産持って帰るとしたら、その物は、誰かの思いで選ばれて、
誰かのために、色んな所を通って、そこに来た。貰った人の反応が、お返しとなり、そこからまたつながっていく。
流動性。反射。反射し合ってまた生まれる。
誰かのために出かけていくことも、相手にとってはギフト。
行くことは、贈り物を届けること。
トークで猛烈に眠くなったというのは、リー ミンウェイさんの声が、あたたかな陽射しを受ける葉、南国で揺れる葉のような感じに流れるので
猛烈に眠気に誘われてしまったのでした。