今までに何度も、宣伝の写真は観たことがあった映画。
「わたしはロランス」
この映画のこと、観たことあるかと、大の仲良しさんの聞いたら、
「グザヴィエ・ドランのでしょ?観たことないけど。あの監督、ゲイだっけ?」と。
さて、概要は、カップルがいて、男の方が、実は心は女子だって告白する。
女の方は、彼の男性性が好きだったから、なかなか受け入れがたい。
しかし、二人はお互いが大好き。愛してるんですね。
前に、「リリーのすべて」という映画があった。
これは、自分は新宿のtohoで観たのだが、俳優も有名だし、観た人も割といたのではないかと思う。
妻が、夫をモデルに絵を描いたときに、女性の持ち物を彼に与えたのをきっかけに、夫が目覚めてしまう。自分の本当の性に。
妻は当然、葛藤するが、彼が女性として生きることを、大親友のように支えるという展開。
この場合は、愛しているけれど、男同士のようにも女性同士のようにも愛せない。
恋愛的なドキドキときめきとか抱かれたいとか抱きたいみたいな風には愛し合えない。女性に目覚めたため、女性に恋愛感情持てない。
女性が女性に恋愛感情持って愛し合うっていう愛し方もあるだろうし、男性同士でもあるだろうが、どっちも男性が好きな女子になってしまったらねぇ。
例えば、女子がいくらかっこいいゲイの男性を好きになっても、彼の恋愛対象が女子でなければ、性的対象として愛してもらえない。
恋愛っていう意味では。
「わたしはロランス」の場合は、リリーのすべてとも、また違ってる。
彼女は、男が欲しい。彼に。
彼は、女として生きたいから、服も女性の服を着る。
しかし、彼女のことが大好きで、ずっと大好き。
つまり、恋愛的要素を超えて愛し合っていたい、離れられないパートナーとして愛するんだけど・・・・
この話の中で、彼の方が、性を超えてて、愛し方も性を超えてるのだけれど、
彼女は同じように彼を愛するの、難しいんだよな・・・・
こうでないといけないという、考え方が邪魔するのか・・・。
では、どうすればいいのだろうな?