夕べ、2本立ての映画を仕事帰りに観た。
もう2本立て観る覚悟が体にできてるので、仕事帰りだろうがへっちゃら。
3本はきついが2本なら大丈夫。
昨日観たのが、今年初の新文芸坐(池袋)で、映画自体は、先週末、ジョジョ・ラビット観たのが今年初。
そんなことどうでもいいか。
ジョジョ・ラビットは若いカップル多かったような。観客。
ウェスアンダーソンっぽい感じだなと思いつつ観てたが、それにしても、ナチス関係についての映画って常にあるというか・・・欧米人にしか分からない何かがあるのか。ヒトラーが完全なる悪者としてではない描き方になってきたのを感じる。
それは、今の自分たちに近い=自分たちとヒトラーはそんなに変わらない、つまり、今も認識していないだけで、危ない社会に向かってる、いや、気付いていないだけで、既に・・・ってことを伝えたいのか?
ちなみに、ジョジョ・ラビットについてほとんど予備知識なしで観た。
スカーレット・ヨハンソンも、キアヌ・リーヴズじゃないけれど、第2次(キアヌは第3次か)ブレイクかね、綺麗が際立っていた時代から、色々できる女優に。
主人公の友達役の太った子供が果たして今後、どうなるか。
映画自体は、よくまとまっている映画だったが、自分にとっては、あまり印象的な映画ではなかった。ヒロインの少女は、ヨーロッパに行ったら割と普通にいそうなかわいい子だが、ふとシャルロット・ゲンズブールの少女のころを思い出した。
ちょっと気が強く、静かな感じで、古風で、細くて、日本人好みかも?
さて昨日観たのは
「愛のコリーダ」と「ラスト・タンゴ・イン・パリ」
どちらも18禁。
名前は知っていたが観てなかったので、観に行った。
「愛のコリーダ」は、エロというより、怖過ぎ・・・描写、静かでも怖い。
昨日は、女性専用シートとか用意されていたが、あれ、男性はむしろ縮み上がるんじゃ?
しかしいつも思うのだが、からみどきに、女性あんなに叫ぶかね、どうしたらああなるんだ?そうあって欲しいという男性監督の妄想?
「ラスト・タンゴ・イン・パリ」は、男性が怖いのだが、いるよなーーーああいう怖さを女性に与える男・・・って思った。
命令的で。すごく寂しがり屋の弱い男のくせに。
それでも、普通っぽい少年みたいな彼氏より、謎の男に惹かれてしまうヒロイン。
「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」でも耐えられんと思ったが、お尻の穴好き、欧州映画であの時代、流行りか?!何を象徴しているのだろう(おそらく、お尻の穴っていうのが、その時代への挑戦だったのかも?)。
後で思ったが、ヌードはヒロインばっかりで(毛が凄すぎて修正のぼかし要らないレベル)、男はほとんど着衣。なんで当時、上映禁止とか騒ぎになったんだろうと思った。エロ映画っていうより、アート系っぽい映画だし、絡みも少ないのに。
説明となる部分をストーリーにうまく混ぜ込んでいくのだが、場面展開が良くできていて、どうしたらこういう風に持って行こうと思えるのかなーと感心した。
説明しない、登場人物の動きとか、注意深く見てないと分からないことも多いような。でも理由も口で言えないような心理的なことなので、見た後も疑問が色々残った。
「愛のコリーダ」の方が作りが簡単。思ってたよりエロくもグロくもなかったが、じわりじわりと来る感じが怖かったし、臭いが感じられそうだった。
臭いと言えば、「ラスト・タンゴ~」の方も臭いがしそうな映画・・・
屈折した愛、いや正しい愛なんてわからないから、それもある愛、むしろ正直な愛なのかプリミティブな愛なのか、わからないけれど・・・臭いのある男女愛・・・は、終りに向かうように思えた。