続きです。
丘を降り(と言っても5分くらい)、また集落的なところを通って
次なる目的地を見学する前にお昼食べようと思った。
タコ料理の店に行きたかったのだが、なぜか突然休み。
何も書いてないし・・・コロナ全国警戒始まる寸前だったが、コロナ休みってわけでもなさそう・・仕方なく、とりあえずアイス。
この店はガイドブックなどにも出てるので、見かけるたびに客がいた。
つまり、並んではいないが、休む間もなく割と客がくるということ。
柑橘柑橘にしようか悩んだけれど、柑橘とナッツ系にした。
シャーベット同士だとなんか寂しいから。
斜め前にこれがある。
生口島で有名な観光地トップなのかな、耕三寺。
耕三寺を建てたのは、大口径特殊鋼管の製造会社を営んでいた技術者で実業家の、耕三寺耕三さん。
明治24年、神戸で生まれて、14歳で製鑵(かん)工場金本鉄工所に就職。
酸素溶接見習工だったのが、21歳で工場を開き、
その後は社長社長社長・・・・34歳で東洋径大鋼管製造所を設立したあと、お母様への感謝を込めた建物を作り始めたようなので、おそらく34歳で大金持ちになってたって感じ?(↑のリンク内に詳しく書いてある)
42歳の時のお母様が亡くなり、その後、ご本人出家したようで。
耕三寺耕三が母親の死後、母への報恩感謝の意を込めて、自ら僧籍に入り菩提寺として昭和10年より生涯を掛けて建立したお寺です。(瀬戸田 耕三寺博物館のサイト説明参照)
43歳からはお寺づくりがライフワークに。
46歳の時には山梨でお寺の住職。
で、47歳の時には瀬戸田に移ってきた模様。
78歳で亡くなるまで、ずっとお寺づくりに力入れていたみたい。
アイス食べてから入る。奥行き有りそうだなぁ。
どこから見ようかって時、まず手前の端っこの方から見ていきがち。
この建物の中には展示物があったが、近所の人の作品なのか何か?区民ギャラリー的な内容だった。
陽明門のぱくり?・・・なんと陽明門の実測図を基にしているらしい。
サイト内の説明を見ると、凄い広いとわかる地図と、建築にも気合入りまくってるのを伝える説明文がある。
各部の比例も本物と一致だって。
なんかあちこち色々ある。
地下トンネルみたいなの入ったら、地獄体験できる。
お寺遊園地みたいな感じだ。
国登録有形文化財もいくつもあるので、適当なそっくり建築ではないところがすごい。
この寺で一番有名なのは、それよりも?
広さ5,000平方メートル。イタリアから運んできて、使用した大理石の総重量は約3,000t。
薄曇り・・・カメラでもっと明るく映せるのでしょうが、実際、曇りであったので。
白い石だらけの中を歩き回るのは割と楽しい。
これ、晴れてたら相当まぶしいだろうし、真夏はアツアツかも・・・
仏教の十二天というのにちなんで、12のモニュメントがある。
カフェもある。
人写していないけれど、人はいます。
居なくなった時を狙って、撮れるくらいの、人の量。つまりそんなに混んでなかった。
月天を望む猫、だって。夜綺麗かも。
日が当たったら、ギリシャのアクロポリスみたいに綺麗かもしれない?
大理石の丘を見て、また伽藍の方に戻る。
連れは、ここ結構好き~と言っていた。
綺麗にしてるよね。
タイなどでも、財を成したらお寺作ったり、イスラム文化圏でも、お金持ちが喜捨的にモスクづくりにお金凄い出したりするが、日本ではそういう成り立ちでお寺作っていても、なんか目立たない感じ?
お金儲かったから、お寺作る!っていうの、タイなら結構ありがちでも、日本だと・・・どうなんだろう?気づいていないだけかなぁ。
こすもすさんのこの記事
を読んだとき、へぇ、実業家が作った!
ああ、あるんだ~やっぱりーって思ったのだった。
この城は、自分プライベート用っぽい建物として作ったようなこと書いてあった。
で、その横には、お母様用の建物。
お母様の好みはこういう感じだったのかしら。
こっちは別料金。
ちなみにメインの方は大人1400円。
生口島はお金かかる・・・船代もあるから。←今回マイルを使って、泊りもゲストハウスという旅なのでね。出費抑えて最大限に楽しもうって旅行。
それでも、来ないと体験できないことができるから。
それに、他のところとは違ったのんびり感、明るさも、瀬戸内ならでは。
(続く)