はるか先生の企画に寄せて。
『夜と霧』V.E.フランクル(池田香代子訳)を「一番好きな本」として挙げます。
「永遠のロングセラー」としてあんまりにも有名な本なので、挙げると「なに気取ってやがんだ、けっ」ってな反応されそうな気もするんですが、だって好き、というより自分にとっては最も影響を受けた、と間違いなく言える本ですから。
あんまりにも影響をこうむったので霜山徳爾さん訳の旧版、池田香代子さん訳の新版、それからその電子書籍版と、計3冊も何故か持っているぐらい。
アウシュビッツなどの強制収容所から奇跡的に生還した心理学者、V.E.フランクルによる、限界状況における人間の姿の記録。それが本書の内容になります。
フランクルはナチス政権下、ユダヤ人として家族とともに強制収容所に収容され、父母と妻子を失い(解放後に知る)ながら、米軍による解放によってひとり奇跡的に生き残ります。『夜と霧』はそうした収容所での過酷な体験を綴ったものです。
というと、人類史上消すことのできないナチスの犯罪を告発するとか、強制収容所の非人道的な実態を明かすとか、そういったものを想像するかもしれません。ですが、それらがこの本の主題ではなかったりします。
書店ではたまに生き方本と一緒の棚に並んでいたりするように、この本は「限界状況で人はどう生きるか」を描くものです。
たとえば、何の希望も描けないような日々が続くとき。ただ苦痛や失望ばかりが長々と続き、感情や意思さえも損なわれていくように思えるとき。人はどうやって生きていくべきか?
フランクルが描き出した限界状況での教訓を、幾つかならべてみます。
希望を失った者は死ぬ
希望を失った者は全く動けなくなり、そのまま枯れ木のように弱り切って死ぬ。
希望にすがる者も死ぬ
希望は容易く打ち砕かれるので、すがる者は悲嘆にくず折れて死ぬ。ある者は夢で解放される預言を聞いたが、その日が過ぎるとみるみる弱って死んでいった。
自分を失った者は死ぬ
自分を失った者はすべてを失う。体調や感情や節操や尊厳や、すべてまき散らすように失い、死んでいく。それは原因ではなく、死の兆候である。
自分を持っている者も死ぬ
自分を持っている者もまた死ぬ。ガス室で、懲罰房で、死の壁の前で、栄養失調で、しかし、人間性や尊厳を示しながら。
僅かな僥倖だけが生死を分ける。それを分けるものは勇気でも、利口さでも、強さでも、なんでもない。
数百万が生を求めて足掻きながら、結果ごく僅かな人達しか生き残らなかったという壮大な「実験室」から、フランクルが導き出した生の教訓はただ一つです。
ーいま、ここが生きる意味を引き受ける場所だ。-
行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬこともまた生きることの一部なのだろう。
収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。
生き残ることに意味があるのではない。どのようにいま、人間的に生に向かうか自体に意味があるのだ。フランクルは言います。
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」
「実存主義的投企」とか、煎じ詰めると学校の先生が言う、「がんばることが大切」とか「過程が大事」とかいうのと同じような意味だったりもするんですが、数百万の命が立証した「生の意味」はほんとうに重いです。というより、本書ではじめてその意味を知ったような気がします。
ある夕べ、私たちが労働で死ぬほど疲れて、スープの椀を手に、居住棟のむき出しの土の床にへたりこんでいたときに、突然、仲間が飛び込んで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急きたてた。太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。
そしてわたしたちは、暗く燃え上がる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄色から血のように耀く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的に形を変えていく雲をながめた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映していた。
わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界どうしてこんなに美しいんだ!」
この本、「仕事がしんどい」「やめたいけどやめられない」「灰色の日々でつまらない」などと愚痴る友人知人におすすめしては嫌がられ、「そのうち読んどくわ」とすげなく躱されたりするんですけど、名本は名本としかいいようがない本なので、ぜひ多くの人に読んで欲しいと思っていたりするのです。
どうにもならない、と思うときほど紐解いてみる、『夜と霧』。過酷な内容ですが、不思議と力の沸いてくる本、自分にとって最良の名本です。