天正九年。
この年は年初から普請の記事が二月まで続き、その後三月は雨の記事が多く出た後、廿二日に城攻めの記事。『信長公記』では三月二十五日に高天神城が陥落したとされ、そのことと重なっているのだと思われる。ただ、高天神城は遠州の海沿い、街道筋からも外れたところで、年をまたいで五ヶ月も張り付いているというのは何とも異様な気がする。これは、天神という名前がついていることからも、先に書いた三河独自の天神信仰をひっくり返すための何らかの、戦以外の動きがあったのでは、という気がする。そこで注目したいのが、普請の中に萩原普請という言葉が出てくること。萩原と言えば、この頃はまだできていないが、後に吉田家から分かれて萩原家というものができている。京都にあった吉田が三河の今橋の代わりに名付けられたことは既に述べたが、この萩原というのもここに出てくる萩原普請と関わるのではないかと考えられる。そこで、今の豊川市御津町にある萩原神社というのが気になる。応仁の乱の時に当地に来て、大永二年にその孫によって創建されたとされる(豊川の歴史散歩)。その由緒についてはまた別の話ではないかと考えられるが、今はそれには触れず、萩というのが何なのか、ということを考えてみたい。萩は、万葉集で一番多く出てくる花だとされるが、波疑の表記もあるが、おおくが芽子、あるいは秋芽子などとなっており、それが本当に萩のことなのか、というのは怪しい。特に、大伴家持はこのどちらの字も使っており、同じ花を指すのならば同じ字を使うはずで、そうしていないことから別の花だと考えた方が自然なのではないだろうか。そこで、私は秋芽子というのは、菊のことなのでは、と考える。菊は冬に出る新芽から増やす花で、花自体は秋に咲くことから秋に咲き芽で増えるものとして秋芽子のように書いたのではないか。ハギではないとして、何と読んだか、と言えば、これも勘ではあるが、カスガあるいはクサカと読んだのでは。芽をガと読むのはあるとして、カスガと言えば普通春日と書くが、万葉集の大伴家持の句では春日と書いてそのままハルヒで伝わっているようだ。そして萩という字には秋が入っている。秋というのがよほど重要でカスガの字から秋を外してしまいたいというのがあったのかもしれない。というのは、九月九日の重陽は菊の節句とも呼ばれ、菊の花びらを浮かべた菊酒を飲むともされるからだ。酒に入れるだけではなく、薬として菊の花びらを収穫するのが秋であるという習慣があり、その収穫祭として重要であった重陽を、収穫祭としては稲の収穫の大嘗祭に、そして秋の習慣としては中秋の名月に切り替えることも含め、古くからの文化を改める一環として秋芽のカスガという読みを春日に充てたのかも知れない。なお、少し戻るが天正八年九月の四つの連歌の内二つで菊が詠われている。また、現在、渥美半島の田原市は電照菊の大産地として知られている。
また、萩原神社の二つほど山を越えたところに宮道天神社があるが、そこの祭神として草壁皇子が祀られている。草壁は日下部に通じ、それが秋芽から来たのかも知れない。そして、これは今はその名の通り天神であるが、そこには菅原道真は祀られていない。尤も、元は嶽明神と呼ばれていたようで、雨乞いの神様だったようだ。このあたりは天神信仰の起源にも関わることになりそうなので深くは触れないが、そこを更に進んだところには、狭いところに岩略寺城、長沢城、登屋ヶ根城と三つの城の跡が残っている。仮に城攻めがあったとしたら、そちらの方が、街道筋の要衝でもあり、はるかに現実味が高そうに感じる。尤も、個人的には本当に城攻めがあったかは怪しいと感じており、信仰に関わる念力勝負のようなものだったのでは無いかという気がするが、そこはまだ何とも言えない。天神と言うことになると、豊橋の草間に菖(下はヨ)間天神と言う他には余り見られないであろう神が祀られた本宮神社があり、そばには春日神社もある。
四月も天気のことが中心に書かれている。五月には連歌が二回、一つは発句の作者不明で、もう一つは正佐となっている。六月は六日に原文闕失があり、その後牧野原番の話となる。松玄蕃、松周防、牛久保稲垣平右衛門に振舞の後廿日から廿二日まで原文闕失。廿五日には氏眞衆岡部三郎兵の振舞。七月は五日から七日まで原文闕失で廿二日に新二郎に振舞。八月は崇福寺、永良一平の振舞、十九日に信長様高野を御せいはい候ハん由風せつ。廿一日には正佐の発句で連歌。
九月は十日に夢想の連歌とのこと。松玄蕃、休庵、濱松衆、内藤四郎左振舞。十月はまた振舞が多く、本田作左右衛門、同平八郎、濱松衆、鵜殿八郎三郎、如雪、鵜善六、松紀伊守、再び濱松衆、松玄蕃に連日のごとく振舞。月末に鯉五十本と十二本。また何か釣れたのであろう。霜月一日に東条松平甚太郎死去。その後振舞がいくつか。全部同となっており姓がわからない。十二月、松新二郎、鵜殿善六、小笠原丹波、松平周防、などに振舞。小笠原丹波は三度に亘っている。新二郎は姓なしで書かれている時は松平だと考えた方が良いのかも知れない。