では、八幡という言葉の由来についてみてみる。まず、その読みは、平安末期の辞書「伊呂波字類抄」に「ハチマム」とあることなどから現在では「ハチマン」と読むのが一般的であるが、一方9世紀前半の仏教説話集「日本霊異記」下巻に『宝亀2年(771)「矢羽田大神寺」』とあり、また11世紀前期の「源氏物語」でも玉鬘の章に「やはたの宮」と出てくることから、かつては「ヤハタ」とも呼んだようで、続日本紀においても天平勝宝元年(749)十二月丁亥の八幡大神にヤハタのフリガナが振られている。由来の説としては、応神天皇降誕の時八つの幡が下りて産屋の上を覆ったこと(「平家物語」長門本など)や、赤幡八鏤がたなびいていたこと(『三社託宣抄」、「水鏡」)などの伝承によるとされる(八幡の神と北辰信仰)が、いずれも中世成立の話であり疑わしい。江戸後期の国学者小山田與清は「八幡てふ里ありけん」とし、それが地名からだとしており、実際豊前綾幡郷の郷社金富神社は矢幡八幡宮(福岡県築上郡椎田町)とも呼ばれ、宇佐神宮の本宮ともいわれている。そのほかには、焼畑の転化、渡来氏族の秦氏が奉斎した「弥秦」神に由来、海の神である弥海(イヤワダ)に由来、あるいは幡を立てて祭り多数を表す八をつけてヤハタとした、といった説がある(八幡信仰事典)(関東地方の八幡信仰)。
さて、八幡神は秦氏とのつながりが言われるが、同じ読みであるハタという言葉がどこから来ているのか考えてみることには意味がありそうだ、幡はバンあるいはハンであり、一方秦はシンであり、どちらもハタとは読まない。ではハタとはいったい何を意味するのか?ハタは機織りや畑といったものにも用いられ、古代日本において非常に重要な意味を持っていたように思われる。そこで幡の語源を探ってみると、もちろん旗の意味もあるのだが、もとはサンスクリット語のPatakaという言葉から来たようだ。これは様々な意味を含んだ概念(http://spokensanskrit.org/index.php?tran_input=pathaka&direct=se&script=hk&link=yes&mode=3)だが、旗の意味も含んでいる。いろんな意味を含んだ言葉なので、サンスクリットを使う渡来人がいろんな場面でこの言葉を使い、在来の人々がそれを聞いてハタの神であるというふうに考えるようになって、ハタ氏というのが生まれたのかもしれない。少なくともハタという音はバン、パンよりもパターカの方に近いものがあり、漢語経由というよりもサンスクリットから直接日本に入ってきて、その音に対して幡や秦という漢字が当てられた、と考える方が、言語学的には自然なように感じる。つまり、ヤハタをハチマンと言い換えるのには、ハタという音を消したかったという意図があったかもしれないともいえる。