ここで、後藤田が名を上げることとなった二重橋事件周辺の政治情勢に目を移してみると、当時は第5次吉田内閣であり、既述の通り、二重橋事件が起こった後、年明けから造船疑獄が火を噴いていた。これを一体誰が煽っていたのか、というのが問題なのだが、その頃は朝鮮戦争が停戦となり、保革の対立軸というのは一旦収まっていた。そんな中で、ポスト吉田を巡っての自由党内、あるいは自由党以外の保守系の政党からの人々の間でさや当てが行われている状態だった。保守本流としては、副総理の緒方竹虎や、二重橋事件で狙い撃ちにされた法務大臣の犬養健という辺りが本命であろうが、まず一つ問題だったのが、自由党の元のオーナーとして、公職追放解除後にその返還を求める鳩山一郎がおり、その鳩山を旗頭として、三木武夫、河野一郎、石橋湛山といった面々が集まり、保守本流の簒奪を企んでいた。そして、三木武夫と共に改進党を立ち上げたのが、同じく公職追放にあっていた大麻唯男であった。大麻は、戦中に大政翼賛会を立ち上げる時に暗躍し、戦後にも日本進歩党の設立に田中角栄と共に関わったともされ、要所要所で政局を起こしている。
そんな元内務、警察官僚の大麻が改進党を立ち上げ、造船疑獄で吉田の秘蔵っ子佐藤を痛めつけて、吉田の求心力を落とすことで、保守本流を鳩山系に切り替えようとする動きが二重橋事件と連動していたのだ。それは、地方自治をなるべく弱め、旧内務省を警察寄りで再編成するという大麻の大戦略の一環であり、そのために、自治体警察もなるべく自治体側から切り離し、中央、つまり警察庁の支配下におこうという意図を持っていた。また、全日空ルートで運輸省が田中の道路政策の中心と書いてしまったがそれは間違いで、道路政策は建設省管轄、そしてそれは旧内務省系であった。そして、運輸省は基本的には佐藤の出身官庁である鉄道省の後継で、そこに旧内務省の港湾管理部門が一緒になっているということがあった。大麻が内務官僚の大同団結を企てていたかはわからないが、造船疑獄というのは、佐藤のお膝元である運輸省の中で、内務省系の港湾管理行政が火を噴いたことになる。計画造船自体は、官僚の関与が大きい政策であるとは言え、それ自体汚職の要素はほとんどなかったと考えられる。いくら佐藤が元鉄道省出身だからといって、政治献金を全て現在直接関わっているわけでもない政策と結びつけられて汚職とされたら、政治献金は全くもらうことができなくなってしまう。そうなると、元から一般社会での地盤が強いとは言えない官僚派の政治家は圧倒的に不利となる。鳩山にしろ、河野にしろ、三木にしろ、いわゆる党人派の系統に属し、その党人派の、池田や佐藤といった吉田の子飼いである官僚派の政治家に対する強烈な攻撃であったと言える。
そして、政治家の汚職や経済犯罪は管轄がグレーゾーンとなっており、それについて、保守本流犬飼健が検察を管轄する法務大臣をやっているときに、政局絡みでどんどん追い込んでいった。まずは、保全経済会事件が発生した。これは、匿名組合を利用して出資者から高利配当を約束して出資金を集め、結局破綻してしまうのだが、その詐欺罪と共に、政治家への献金があったという話も出てきて、結局東京地検が直接逮捕起訴するということになった。保全経済会は本社が東京にあったので、刑法犯罪である詐欺罪については警視庁が管轄すべきではあるのだが、その被害者が全国にわたり、また金額も巨額であったことから、警視庁の処理能力を超えていただろうと考えられる。そんなことから警察庁が動けば良いのだが、結局警察庁は動かず、地検が直接逮捕することになった。地方検察局でできるのならば、警視庁でやってもおかしくないとは思うのだが、この辺りの管轄がまだしっかりと定まっていないところを、瀬踏みのような形になったということであろう。
この保全経済会というもの、今残っている話はかなりひどいもので、一体誰がそんな話にだまされるのか、という気がする。では、実体はどんなものだったのだろうか。ここで、戦前の武道の統一団体に大日本武徳会があり、その募金を主として警察官が行っていたのだが、戦後になって民間団体となったが内務省との関わりが深いということでGHQに解散させられ、その財産が国庫に納められたとされる。これは推測だが、金が国庫に入ったというのは嘘で、他の目的に使われたのではないだろうか。その一部は元警察官であった大麻らが着服してしまったのかも知れない。田中はそれをかぎつけており、だから大麻という当時既に大物の代議士であった人物を会社の顧問に迎えたという話になっているのではないか。そして、石炭国管疑獄でまわった金の多くは実はここからの金だったのではないか。それはともかく、いずれにしても、警察官が募金で集めた金が返ってこないというのはかなり聞こえが悪い。そして、武徳会の解散及びその関係者1300人の公職追放というのは、この横領がばれたためだとも思われ、その公職追放が解除されるにつれ、特に信用が必要な警察官が社会に戻る時の何らかの話が必要になったのではないかと考えられる。そこで、この保全経済会が身代わりとして作られ、それにだまし取られたということにして話を作ったのではないか。だから、保全経済会自体、大麻の罪を隠すための事件であるといえ、そこから目を背けさせるために、汚職の要素の全くない造船疑獄をさも問題であるかのごとく騒ぎ立てたのではないか。
もう一つの金の流れ先として考えられるのは吉田茂である。吉田内閣の下で初代の保安庁、そして防衛庁長官を務めた木村篤太郎は、元々弁護士から検察官となり、戦中にこの大日本武徳会の会長をしており、戦後それによって公職追放を受け、復帰後に政治家となっている。第1次吉田内閣で法務大臣を務めており、そして吉田は自分では金集めはしない、といっていたことを考えると、大日本武徳会元会長の木村の裁量内で、その金が吉田政権の運営に使われたのかも知れない。それをかぎつけた田中が吉田か木村の懐に入り込み、そこで第2次吉田内閣での政務次官になったのかも知れない。そんなこともあって吉田は佐藤を守りきれず、そして結局法務大臣犬養健が泥をかぶることになったのかも知れない。それを考えると、吉田内閣で絶え間なく重職を務めた木村篤太郎はキングメーカー的存在であり、吉田がぼろぼろになって鳩山が帰ってくるまでやめられなかったのも、そして鳩山が元は自分の党であるなどと主張したのも、この木村篤太郎の後ろ盾があってのことではないか。
後藤田が警察に入り込んだ背景にはこのような事があったのかもしれない。その流れを考えると、田中とつながっていたというよりも、実は大麻と一緒に改進党を立ち上げた三木武夫とつながっていたのかも知れない。つまり、後藤田は、三木と同じ選挙区に立つと言うことで、対立的なように見せながら、実は三木を総理にするために動いていたのかも知れない。
(*これらはほとんど推測に基づいたものであり、何の根拠もありません。ご自身でよく咀嚼して内容をご判断下さい。)
参考
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