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alis.to のみなさん、こんにちわー。
以前の記事、
・ぼくの会社時代#01 販売実習をやめたいと言ったら上司に呼び出された話
では、入社時の新人研修で販売実習があり、あまりに向かないので「やめたい」と上司に相談したものの、「丸め込まれて」やめられなかった話を書きました。
今日は、少し話をさかのぼって、どうしてぼくがその会社に勤めることになったかを書いてみます。
* * *
ぼくは東京の大学でコンピュータのソフト方面の勉強をしていたのですが、コンピュータや勉強が大好き、というほどのことはありませんでした。
それで、学部四年のとき、修士課程に進むかどうか迷いましが、同じ研究室の修士二年の先輩で、いい感じの方がいて
「自分もあんなふうにやれたらなあ」
みたいな「雰囲気だけ」の気持ちで、修士に進む方向で考えてみました。
とりあえず内部推薦の制度があったので、それに申し込み、また、大学院の入試も受けることにしましたが、実のところ、大学の成績は特によいわけではなく「内部推薦は通ったらもうけもの」くらいのいい加減さで、しかも入試に向けての勉強などもまったくしていませんでした。
それで、内部推薦の面接のときのことなのですが、ぼくの所属していた研究室の先生が、こんなことを聞くんですね。
「きみは成績がずいぶん悪いけれど、これはどういうことかね?」
いやー、身も蓋もない、サイコーの質問じゃないですか!!
しどろもどろに何を答えたものか、さっぱり覚えていませんし、ほかに何を聞かれたのかもすっかり忘れてしまいましたが、当然推薦は受からず、そのうち、大学院の入試の日付が迫ってきました。
自分がそのとき、何をどう考えたのかは、あまりよく覚えていないのですが、結論だけははっきりしていて、
「やっぱ入試はやーめた」
と思って、誰にも相談せず、一人勝手に就職することに決めました。
ぼくは実家が世田谷なので、渋谷あたりが行動範囲だったのですが、たまたま渋谷の本屋で高校のときからの友だちとばったり出くわしたので、
「いやー、おれ、大学院受けるのやめようと思って」
とか軽い調子で話したら、その友だちは、
「それはやっぱり受けといたほうがいいんじゃない?」
と親身に忠告してくれたのですが、ぼくは人の話が耳に入らないほうなので、「そんなこと言われてもなー」と思ったくらいのもので、結局その決心を誰にも告げないまま、入試当日ばっくれてしまったのです。
あとから研究室の同級生に、「先生かなり怒ってたよ」とか聞きましたが、別になんとも思いませんでした。ぼくという人間の「非社会性」が知れるというものです。
* * *
さて、これで大学院に行く道は断たれましたから、就職口を考えなければなりません。
この頃ぼくは、高校時代の同級生が先輩とともに立ち上げたソフトウェアハウスでプログラマのアルバイトをしておりました。
某通信関係大手の研究所の孫受けで、マルチウィンドウ端末 (なんていっても今の人にはなんだかさっぱり分かりませんよね) 用のソフトウェア開発環境をコーディングする仕事で、ぼくはそのシステムにエディタのソースコードを埋め込むのを担当しました。使ってたのは unix (linux のおおもとです) の system V だったかな、言語は C です。
就職活動の時期になったら、そのソフトウェアハウスをやっている友だちが、
「きみはうちに就職する気はないか?
プログラマとしてのきみの能力はまだまだだが、十分将来性はある。今うちの会社は小さいから、きみが来てくれるかどうかは、うちにとっては大きな問題だ。
さあ、どうだ、来てくれるのか、来てはくれないのか。
はっきり答えてもらおうじゃないか!
さあ、どうだ!!」
というような文面ではありませんでしたが、かなり熱気のあるお誘いのお手紙をもらいました。
友だちの会社はやってる内容が特別興味を惹くものではなかったので、そこに就職するつもりは全くなく、ここでもぼくは薄情っぷりを発揮して、あっさりと断りました。
どこかの会社の下請けで何かをやるんじゃなくて、一般のユーザが直接使うようなソフトを開発してたらなー、とか勝手なことを思ってたんですよ。
こんな選り好みをする人間に、会社勤めなんて無理だよなって話で。
それで結局どうしたかというと、同じ研究室の修士の人たちの就職活動におまけでついていって、某精密機器メーカーの中央研究所の見学に行ったときにこう思ったんです。
「ぼくはそもそも会社勤めがしたいわけじゃないし、この機会を逃したら、大企業に勤める機会なんてないだろう。社会経験としてあの会社に入れてもらって、中央研究所で働かせてもらおう。まあ二年くらいが目処かな」
とまったく自己本位に勝手なことを考えました。
(会社側の立場で働いているみなさん、ごみんね、許してねっ)
世間知らずの自己中心的な人間にのみに可能な、「妄想感」溢れるアイディアとしかいいようがありませんが、ここでも幸いなことに、当時はバブルの全盛期で引く手あまたの時代でしたから、形式的な集団面接を一回受けるだけで、簡単に内定は出ました。
今の時代、就職を決めるのも大変で、就職してからもさらに大変なみなさんのことを考えると、全く申し訳ないようなものですが、そういう時代の、そういう人間の話ですので、どうかご寛恕いただけたらと思います。
* * *
とまあ、そんなようなことで、就職先は簡単に決まってしまいました。
とはいえ、人生そんなに甘くないのは当たり前のことで、配属先の希望には「中央研究所」と書いたものの、いつの時点で分かったのか、忘れてしまいましたが、学部卒の人間に対して、そうは問屋が卸すはずもなく、レーザープリンタのファームウェアを開発する部署に配属されることが分かったときには、一人がっくりとうなだれたものです。
ぼくのようなただ「世間知らず」なだけの脳天気な人間の場合、一人がっかりするくらいですみましたが、今のようなご時世ですと注意が必要です。
「世の中」のことが分かっていない「生真面目」な人は、就職先を間違うと体や心を壊したり、ひどい場合には「死」に至る場合もありえますので、若い皆さんには、よくよく注意をしていただきたく思います。
ちょっと中途半端ですが、そんなところで今回の記事はおしまいとさせていただきます。
最後までおつき合いいただきありがとうございました。
それではみなさん、ナマステジーっ♬
// ナマステジーはインドの挨拶で、「こんにちわ」にも「さようなら」にも使える便利な言葉です。