ヴォエっす(´⊙ω⊙`)
うめ吉っちゃんやぞ☆
今日、おっちゃんはある決断をしました。
アレ、やめます。
正直面倒くさかったし、余計な手間もかかることなんだけど、初期から他との差別化を図るためにキャラ付けの一環としてやっていたんだよね。
でも最近になって、あまりにコレを気にし過ぎるあまり、自分の書きたい文章が書けなくなっているのと、ブログやTwitterでは普通に書いているのでそろそろもういいや、と思いました。
そうです、やめるのは「うさん臭い喋り口調で書く文章」です!
実際会った人にも何度も、なぜあの書き方なのかきかれていたんだけど、自分でも説明する度に違和感があったし、もうそんな所で差別化を図らなくても充分に認知されている!
あれ、自惚れかな?
でも自惚れって大事だと思う。自信のない奴の話聞いて「なるほどねー」と納得する人はいないでしょ。
ということで、うめ吉のおっちゃんはALISではもう認知された存在になったので「うさん臭い喋り口調で書く文章」は必要ないと判断しました。
だいたい何なんだよ、あのちょっと関西弁をテキトーに真似してみましたみたいなの。
怪しいったらありゃしねえ!
そうそう、コレわざわざ記事にしなきゃならない事なの?とお思いでしょうが、この件を通してみなさんにお伝えしたい事があるのです。
人生の時間って有限じゃないですか。
だから「何かをする」というのはその時間は別の「何かをする」時間を削るわけですよ。
これは「トレードオフ」と言われます。
何かをする為に、何かをしない。
至極当然、普通のことなんですが、だからこそ何をしない選択をするのかは重要なんです。
自分のやりたいことをする為に、やらなくても良いことを切り捨てる。
そうやってできた余裕をどんどんやりたいことの時間に充てていく。
うめ吉は「うさん臭い喋り口調の文章」を考える時間を、内容を練る時間に変える事にしました。
人生の全ての「何かをする」という選択が別の「何かをする」とトレードオフの関係である以上は、その選択こそが生き方だと思うのです。
こんまりさんの『人生がときめく片付けの魔法』では、物を残すか捨てるかの判断は、その物を見て「ときめく」か「ときめかない」かで決めるそうですが、本来時間の使い方も同じような感覚で決めた方が、人生が有意義に過ごせるのではないでしょうか。
やりたくない事はやらないようにしろ、ということではありません。
例え今やりたくない事でも先々にはワクワクする事が待っていると思えば、それは今苦しくてもやった方が良いですし、苦労してやった先に見えているものが見合わないと思えば切る選択を考えた方が良いのだと思います。
そして、チャレンジするのも大事です。
もしかしたらワクワクするかもしれない事はとりあえずやってみて、期待通りワクワクしたら続け、案外面白くなかったら切る、という選択を何度もやります。
チャレンジがなぜ必要かと言えば、人間は飽きっぽい生き物だからです。
いくら栄養価が高くて、これだけを食べれば他に何も食べなくていいという物があったとしても、人間はそれだけを食べ続けて生きていくことはできないでしょう。
色々なことを試して、自分に合うかどうか判断して、合うものを残し、合わないものを捨てる。
この中で一番難しいのは「捨てる判断」だと思いますが、やらなければ多くの物を抱え込んでしまうだけです。
最終何が言いたいかといえば、
という事でした!
ヴォエっすの挨拶はやめないけどな!
あとイベントやってるからよろしくな!
賞金もあるぞー!
今回はここまでじゃ!
この記事をかいたおじさん(ツイッターアカウント)