私の好きな映画と言うより印象に残って脳内から離れない映画が
この映画は暴君松平斉韶を十三人の刺客が道中の宿場町で暗殺する物語です。
個人的には稲垣吾郎の松平斉韶が怖すぎて印象的でした。
サイコパス感が半端ないのですw
また、監督は「クローズZERO」などで有名な三池崇史氏ということもありアクションシーンの見せ方がかっこいいんです。
そして歴史映画は史実をどれほど忠実に再現しているかも注目が集まります。
この「十三人の刺客」はフィクションです、しかし登場人物に関しては実在する人物がいます。それらを調べていたブログがありましたので参考にします。
このブログではこの様に書かれています。
映画「十三人の刺客」はフィクションですが、実在の名前の人物が登場します。
島田新左衛門に、松平斉韶の暗殺を依頼した土井利位(どい としつら)は、実在の老中です。
大塩平八郎を鎮圧し、その功績により京都所司代に抜擢され、天保10年(1839年)に老中に昇格しています。
なるほど、暗殺を依頼した土井利位のセリフに
「考えに考え抜いた末、その方と思い定めた。」
このシーンに人の命の重さを感じます。一気に江戸時代の闇の部分を垣間見た気分になりました。上記のトレーラーシーンにも出てきます。
では、暴君、松平斉韶は実在するのでしょうか。
稲垣吾郎 演じる松平斉韶は、実在の明石藩第7代藩主です。しかし、将軍の弟ではなく、暴君でもありません。
斉韶は天保11年(1840年)に隠居し、家督を養子の松平斉宣(なりこと)に譲ります。
この斉宣こそが、11代将軍徳川家斉の二十五男。12代将軍徳川家慶(いえよし)の弟になるのです。
したがって、映画のモデルは松平斉宣なのです。
なんと、松平斉韶は暴君でもなければ将軍の弟でもない!
なんなら養子の松平斉宣がモデルだったとは!!
松平斉宣は12代将軍徳川家慶(いえよし)の弟になるという事で実在した人物だったのですね。ストーリーとしては直接的に松平斉宣の名前は伏せているものの調べればわかる様にしているのは個人的には好きな感じです。
ですが実際に暴君だったのでしょうか。
松平斉宣には、次のような逸話が残っています。
斉宣が参勤交代で尾張藩領を通過中に、3歳の幼児が行列を横切ってしまいました。
斉宣は、村民たちの助命嘆願を無視して、切捨御免で幼児を殺害したのです。
このあたりが、暴君のいわれになっているのかもしれません。
これに対して尾張藩は激怒しました。
尾張藩は御三家筆頭。
そのメンツにかけて、明石藩の領内の通行を拒否したのです。
このため、明石藩は行列を立てず、藩士たちは農民や町人に変装して尾張領内を通行したということです。
これが、映画の中でモデルとして使われています。
史実ではやはり暴君として実在していた様です。
3歳児を切捨御免はやりすぎやで斉宣はん。
そのほかにも
殺陣の舞台となった落合宿は中山道44番目の宿場で、現在は岐阜県中津川市です。
尾張藩領で、1843年には人口は370人、家数は75軒あったそうです。
映画の中では、「75軒に50両ずつ渡して買い取ろう」とありますが、軒数まで史実と合っています。
落合宿の軒数などまで史実と合わせていたんですね。
なぜか、この映画が脳裏から離れないんですね。
それほど戦闘シーンなども強烈です。
また、戦をする為の戦略や侍として大義を全うする為ならば命を落とす事など厭わない勇気に私は当時心震えたのかもしれません。
私が気の小さな弱い人間なだけに、緻密に練られた戦略と大胆な行動に心踊ったのでしょう。
まだ見ていない方はお薦めです。