音の響きによる語感って、ありますよね。それに引きずられて意味を憶え間違うことも。
例えば、ここでも以前取り上げた京都弁の「はんなり」は、その柔らかい響きのために物腰の柔らかさを表す単語だと誤解されがちです。
でも、語源は「華なり」であり、上品な派手さ、色使いなどは派手なのに決して下品になっていないことを褒める言葉です。
同じように大阪弁の「ごっつい」を聞いて、他の地方の人は「ごつごつした」というイメージで捉えることが多いみたいです。それは間違いで、本来は「でかい」と同じです。
ただし、「ごっつい高い」(ほんとは「ごっつい」ではなく、連用形のウ音便になって「ごっつう高い」が正しいのですが)のように、「めっちゃ」と同じ強調語として使われることもあります。
very much の much から本来の「多い」という意味が消えてしまっているように、「ごっつい」から「大きい」の意味が落ちて、単なる強調に使われているわけです。
逆に東京の方言で言うと、以前、東京での勤務経験がない会社の同僚から、「『すっとこどっこい』って『おっちょこちょい』の意味ですか?」と訊かれたことがあります。これなどは本当に単純によく似た響きの単語を対応させただけで、意味を取り違ってしまっています。
一度身についた語感というのは却々改められないのかもしれません。
私が、「いや、大阪弁に当てはめたら、『すかたん』と『ぼけ』の中間ぐらいかな」と返すと、「えっ、めちゃくちゃキツイ言葉やないですか?」と驚かれてしまいました。
そう言えば私も、割合新しい日本語である「がっつり」という表現(元は北海道の方言であったらしいですが)にいまだに馴染めないでいます。
それは小さい頃から「がっぽり」とか「がっちり」とかいう表現に、と言うか音に慣れてきたために、それらと同じように「たっぷり」「しっかり」という意味合いで使われる「がっつり」が何かしっくり来ないのです。
それはチャキチャキの江戸っ子が言う「まっつぐ」(=まっすぐ)が、関西人にとってやや気持ち悪いのと同じようなものでしょう。
逆に同じ関西人同士でも「きっちり」を「きっちし」と言われると、私の場合はどうもきっちりとした感じに受け取れなくてコケそうになります。
また、最近気になるのが「あざとい」という表現です。
本来は「あくどい」あるいは「浅はかだ」という意味の言葉でしたが、近年では「わざとらしい」とほとんど同じような意味で使われています。これも「あざとい」と「わざと」の音が似ていることによるのではないでしょうか。
いずれも単なる経験によるものであり、響きと意味に密接な関係があるとも思えません。
とは言うものの、例えば和歌にサ行の音を多用して、葉っぱが風にさらさらとそよぐさまを連想させたりするテクニックは昔からあります。英語の詩でも D の音を多用することによって暗い、不吉なイメージを醸し出すというような手法があります。
我々の脳は、響きというものに一体どれくらい左右されるのか、というのが最近の私の興味の対象です。