
最近は何でもかんでも平板なアクセントで発音する傾向があります。日本語の話です。昔は平板なアクセントで発音していなかったのに、それがいつの間にか平板に発音されることが多くなって、我々年寄りはなんだかな、と思っています。
例はたくさんありますが、例えば、最近若い人が接続詞的に使う「とは言え」。そう、全部同じ高さの音で「トワイエ」。

なんじゃ、そりゃ、トワ・エ・モワか?と思ってしまいます。え? トワ・エ・モワ知らないんですか? 『或る日突然』ですよ。『空よ』ですよ。『誰もいない海』ですよ。それから札幌オリンピックの『虹と雪のバラード』ですよ。
え? 札幌オリンピックも知らないんですか。
ま、そりゃ良いとして、昔は「とは」にアクセントがあって、つまり、頭高のアクセントで「言え」が低くなるイントネーションでした。
それが今ではなんだか「こめかみ」と同じような、全部高い平板な発音をされます。「お前が」みたいな発音です。「ドアノブ」みたいなイントネーションです。
同じように「御社」を平板に発音する人もいます。「女」とか「サンマ」みたいにね。これも昔はみんな頭高のアクセントで言ってました。
先日「火曜日」を、これまた平板に発音している若者に出会ってびっくり仰天したのですが、なんで何もかにもこんなに平板な発音になって行くのでしょうか?
「令和」も今のところ頭高と平板の2つの言い方が公式には認められていますが、今は頭高のほうが優勢です。でも、いずれ「明治」型の頭高アクセントは、「大正」「昭和」「平成」型の平板アクセントに負けてしまうのかもしれません。
ま、言葉というものは多くの人が言い始めたらまさにそのように変わって行くものですから、仕方がありません。みんなが平板に「とは言え」と言うようになると、私たちもそれに合わせざるを得なくなるのかもしれません。
ところで、「~せざるを得ない」についても変な発音をする若者がいて、これは「せ」と「え」が一番高いことは間違いないのですが、「せざるを」「得ない」ではなく「せざる」「をえない」みたいな区切り方で言うのを耳にすることがあります。
これは、多分昨今の発音の傾向とは関係なく、単に意味を間違えているのだと思います。「せざるを得ない」じゃなくて「せざる負えない」か何かだと思いこんでるから、そんな発音になるんですよね、きっと。
「せざる」は「しない(こと)」、「得る」は可能の意味で使いますので、「せざるを得ない」は「しないことができない」、つまり「やらないわけには行かない」ということ。英語で言うなら can't help ~ing ですよ。
分かりました? 分かったら、ちゃんと発音せざるを得なくなるでしょ? とは言え、日本語って難しいですね?
あれ? 今の「とは言え」、平板になってませんでしたか?
(※ ちなみに、写真はホワイエ)










