ベーシックインカムの理想の形ってどんなものだろう。「人々が互いに支え合うものである」を前提に輪郭を見ていきます。
言うまでもなく社会は人々が互いに支え合って成り立ってきましたが、近年に入り、資本主義が拡大し、あらゆるものが通貨価値に置き換えられるようになりました。
また、各国の通貨は交換可能なため、グローバルな指標で価値が測られます。これは"多様性"とは反対の"単一"な価値観における"力関係"が、通貨を利用する庶民にまで影響を及ぼすことでもあります。
これがグローバル資本主義の姿です。
地域通貨って何?という方のために簡単な説明を入れておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/地域通貨
地域通貨(ちいきつうか、英: regional currency、英: community money、英: local money)は、法定通貨ではないが、ある目的や地域のコミュニティー内などで、法定貨幣と同等の価値あるいは全く異なる価値があるものとして発行され使用される貨幣である。西部忠[1]によれば、おおむね以下のような特徴を有するという[2]。
特定の地域内(市町村など)、あるいはコミュニティ(商店街、町内会、NPO)などの 中においてのみ流通する。
市民ないし市民団体(商店街やNPOなど)により発行される。
無利子またはマイナス利子である。
人と人をつなぎ相互交流を深めるリングとしての役割を持つ。
価値観やある特定の関心事項を共有し、それを伝えていくメディアとしての側面を持つ。
原則的に法定通貨とは交換できない。
以上、[2]3、4ページより引用
ただし、明確に定義が決まっているわけではなく、「地域通貨の明確な定義はなく、したがってガイドラインも作成できない」[3]といった指摘もある。
(上に書かれているように、地域通貨は無利子またはマイナス利子であることが多いようです。マイナス利子については改めて別の機会に詳しく触れていきます。)
地域通貨とは、空間としての地域に限らず、ある特定の目的をもったコミュニティ内で発行され使用される貨幣も含みます。
地域通貨はかつてより防風林の役割を担ってきました。地域特有の文化や価値を外の嵐から守ってきたのです。
ベーシックインカムが「全ての人の基本的人権を尊重します」と理想を掲げた時、では実際、あなたは遠く離れた見知らぬ人の人権にも理解を示し、誰にでも等しく、自らサポートできますか? こう問われれば、困難だと思う方は多いのではないでしょうか。一人の人間が認識できる範囲、理解を示せる空間や人間関係や価値観などの距離は、程度の差こそあれ、どうしても限度があるでしょう。
こう考えると、地域通貨でなら、各々の無理が少ない状態で支え合える気がしませんか。地域通貨とベーシックインカムは相性が良さそうではありませんか。そして価値観の近い地域通貨同士が手を携え、さらに、手を携えたまとまり同士がまた繋がっていく。こういうの、たぶん、コンソーシアム型と言われてます?
※鈴木健氏は著書『なめらかな社会とその敵』のまえがきで、人間がなぜ内と外を分けるのか細胞膜を例に見解を示してくれています。おすすめです。
通貨は人間社会のための道具ですが、通貨に限らず、自然の精巧なシステムから学ぶことは大切です。都市を築こうとも、技術を極めようとも、人間は自然から何も得られなければ何物も作り出すことはかないません。
自然は入れ子のような構造をしています。細胞と細胞がひとつの臓器を構成し、様々な臓器が生物を構成しているように。分子と分子の距離は、宇宙空間の星々の距離のような関係です。
なので、単純に「コンソーシアムは正義じゃん」みたいなノリです。たぶんわざわざ目指さなくてもそうなります。それが生き物の宿命なんです、きっと。
実は、闘いも生物の本能。闘うたび強くなるヒーローとヒロインは、嵐にも負けず勝ち進んで、庶民の憧れ心を満たしてくれる。素敵です。けれど、このタイプの人たちにはちゃんと今ある金融が対応してくれるからいいのです。
でも、そういえば、既存金融も言ってみればコンソーシアムなんですよね。ではどこに違いが見出せるか、次はそのあたりを掘っていきたいです。ではまた。