比叡山延暦寺と、園城寺(三井寺)、石山寺、の競立
「平安時代には大津市域のなかでも、北部の山門(さんもん)(延暦寺)に対して、中部の寺門(じもん)(園城寺(おんじょうじ))、そして南部の石山寺(いしやまでら)といった競立がみられるようになるが、北部地域では坂本・下坂本が、延暦寺と日吉社を中心に都市的発展を示した。そこに山門を本所(ほんじょ)として土倉(どそう)が立ち並び、主として北陸道の物資を揚陸する港湾として、著しい経済的発展を示していた。とくに院政の開かれるころから、日吉社は皇室・貴族の崇敬を得た結果、京都との往来も多かったので、いきおい坂本は交通・運輸・問丸(といまる)とも関連して知られるようになった。坂本といえば馬借(ばしゃく)といい、馬借とは商人という連想が生まれたくらいである。信仰の上でも後白河院(ごしらかわいん)のときに、京都には新日吉社(今比叡)が上皇(じょうこう)御所法住寺(ほうじゅうじ)殿の東北に営まれて、日吉信仰を代行するに至ったくらいである。南北朝戦乱期には、後醍醐(ごだいご)天皇が京都の難を避けて坂本に行幸(ぎょうこう)している。」
(出典: 林屋辰三郎 (1984年) 「中・近世の文化的発展」, 「一 北部地域の歴史的位置」, 「総説」, 林屋辰三郎(編集), 飛鳥井雅道(編集), 森谷尅久(編集), 『新修大津市史 第7巻 (北部地域)』, 大津市, 5~6ページ.)
(参考)
香取本『大江山絵詞』の「平野山」と「近江国かが山」: 比叡山延暦寺による土地領有権説話としての酒呑童子譚
https://wisdommingle.com/?p=21616
■映像の出典
Sea Waves And Harbor Terminal by Grey_Coast_Media on Envato Elements
https://elements.envato.com/sea-waves-and-harbor-terminal-VMT8P79
「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」