『国文東方仏教叢書 第2輯 第6巻』という本のなかに、『三井寺仮名縁起』と、『園城寺縁起』という、2つの文献が収載されています。
これらの『三井寺仮名縁起』と『園城寺縁起』は、どちらも、園城寺(三井寺)の創立の由来について記されている文献です。
この2つの文献の、それぞれの奥書に書かれている、それぞれの文献の制作年代は、つぎのとおりです。
●『三井寺仮名縁起』の制作年代(奥書より): 寛文2年(1662年)(江戸時代前期)
●『園城寺縁起』の制作年代(奥書より): 慶長11年(1606年)(江戸時代初期)
この2つの文献のうちの、『三井寺仮名縁起』のなかの、「三院鎮守の事」という小見出しがついているところに、下記の引用文のような記述があります。
下記の引用文のなかに、園城寺(三井寺)の南院の地区の鎮守神としてまつられていた三尾明神(「赤白黒の三神」(赤尾神、白尾神、黒尾神))についての記述があります。
また、下記の引用文のなかには、南院の鎮守神のほかにも、中院と、北院の鎮守神についての記述もあります。下記の引用文のなかの「三院鎮守」という小見出しの言葉は、これらの三柱の鎮守神の総称です。
●南院の鎮守神である、三尾明神(「赤白黒の三神」(赤尾神、白尾神、黒尾神))
●中院の鎮守神である、鬼子母神(哥梨帝母(訶梨帝母))
●北院の鎮守神である、新羅大明神(新羅明神)
(ちなみに、「北院」「中院」「南院」というのは、かつての園城寺(三井寺)の境内の領域を、3つに区分けして、それらの地区にたいしてつけられた、それぞれの地区の呼称です。(北院は、境内のなかの北側の地区。中院は、境内のなかの中央の地区。南院は、境内のなかの南側の地区。))
この下の引用文は、『国文東方仏教叢書 第2輯 第6巻』という本のなかに収載されている、『三井寺仮名縁起』という文献のなかの、「三院鎮守の事」という小見出しがついているところに記されている文章です。
一、三院鎮守の事
当寺に南中北の三院あリ。各鎮守ましまして仏法を守護し万民をまもりたまふ。南院には、三尾大明神を地主(ぢしゅ)とあがめ、中院には護法善神跡をたれ、北院には、新羅大明神影向したまふ。其勧請の社頭、影向の諸神、其数稲麻にも比しつべし。南院の鎮守、三尾明神は、当所根本の地主にておはします。昔湖水の内よりも赤白黒(しゃくびゃくこく)の三神、大津の浦に来れり。此三神着用の裾の色によりて、赤尾白尾黒尾とは名付也。是を一社に祝たるによりて三尾大明神とは申とかや。白尾は北国白山権現と顕れ、黒尾は南方にうつりて、熊野の権現と顕れ給ふなり。和州長谷の観音のみそぎ引たるも、此明神にておはします。中院の鎮守護法善神は、仏法を守護し給ふのみにあらず。小児を守ちかひまします。是によりて、懐妊の婦人此神に祈れば、其産安全にして、誕生の子も安穏に、寿命長久に子孫繁昌すると也。其因縁をたづぬるに、此天女千人の子をもてり。しかれども鬼子母神なりしかば、人間の子千人をとりて毎日の所食とす。或時、如来方便して、彼天女千人の子の中の愛太子と申を仏鉢の下にかくす。天女驚かなしみて尋ぬる事かぎりなし。其時、仏つげたまふやう、千人の中一人をうしなふかなしみ如此。況や毎日、衆生の子千人を取て食する事、親のかなしみいくそばくぞや。若夫、いまよりして此事をやむべくば、仏力をもつて彼子をかへしあたうべし。との給へば、鬼子母神の申さく、彼愛子帰来ならば、小児を食する事をやむのみにあらず、人の胎内にやどる初より、成長命終の期に到まで、如影随願の加護をなさんと答たりし時、仏鉢の下より、愛太子を出して鬼子母神にかへし給ふ。然而、此天女鬼子母神にてましませば、肉食なくてはかなはじとて、如来のはかり事として、人界の衆生の残飯と云物を肉食にたひ給ふ。是によりて残飯をば指にてとりて、肉をはれて供すると也。小児婦人をまもる事、此因縁に顕たり。さて影向の往因は、大師五歳の御時、讃岐国金倉寺、御誕生の所に現し示曰、汝幼稚なりといへども仏法伝持の器量たり。三井の法流の主と成、弥勒の教法をつたふべし。其時、我哥梨帝母護法の願を現し、汝にうつされて慈尊の下生(げしゃう)に及迄、寺内の仏法をまもり、婦人小児の願をまもり衆生を利益すべし、とふかく契約しまします。其後寺に現じ給ひしに、大師申たまふやう、此寺清浄の霊地として女体の住べき所にあらず。早寺外に跡をたれ給へとなり。護法善神こたへ給ふやう、我仏在世の昔より、仏法守護のちかひありて、都率の内院に住す。常に弥勒の仏法を守れり。此寺また弥勒降臨の道場なれば、この因縁によりてこゝに来れり。女人の姿あしかるし。しかれども、願は我に戒をさづけ、比丘尼となし給へと宣侍れば、大師みづから御かみをそりこぼし、尼のかたちと成し給ふ。是よりして尼護法とは申なり。このときかみすゝぎたまひし池、いまになん有けり。北院の鎮守新羅大明神者、天照大神の御弟、素盞鳥尊にておはします。兄弟あらそひたまふ事ありて、八百万神の神たちにはらはれて、新羅国にましませしに、智証大師、廻船帰朝の日、所伝仏法をまつらんとて、般若宿王の二菩薩をともとして、或は船中に現じ、或は洛中岩上にあらはれ、又は三井寺に来りたまへり。されば、神慮に背不信のともがらには、鬼神をつかはして種々の病をあたへて其人をほろぼし、崇敬信心のやからには、福禄をあたへ寿命を延し給ふとかや。加之此神者後生善処を祈れば、ことに悦給ひて堅固の道心をおこさしめ、臨終正念にして決定往生させたまふ。
(出典: 「三院鎮守の事」, 『三井寺仮名縁起』, 鷲尾順敬(編集) (1927年) 『国文東方仏教叢書 第2輯 第6巻』, 東方書院, 116~118ページ. )
(注記:引用者が、この引用文のなかの旧字体を新字体に変更しました。)
(引用文のなかの太文字などの文字装飾は、引用者によるものです。)
この下にあるリンクから閲覧できる、「この記事の最新版&完全版」の記事では、ここで紹介した内容以外にも、下記のような内容についてお話しています。もし、興味があれば、そちらもご覧ください。
●参考: 「本朝四箇大寺」と呼ばれていた、かつての園城寺(三井寺)の広大な境内の領域について
●参考: 園城寺(三井寺)の南院の鎮守神である、三尾明神の鎮守社の現在の状況
●参考: 園城寺(三井寺)の中院の鎮守神である、鬼子母神(哥梨帝母(訶梨帝母))の鎮守社の現在の状況
●参考: 園城寺(三井寺)の北院の鎮守神である、新羅明神の鎮守社の現在の状況
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「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」