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◆ アリスで学ぶ「価値主義」の世界 第4話:色々な価値
続いて「色々な価値」を説明していこう。
早速、質問だけど「お金」には価値があると思うかい?
えーと、確か「価値 = 欲求の解消ができるもの」だったよね。
「お金」は「色々なもの」に変換できて……その「色々なもの」は「様々な欲求を解消できる可能性がある」ということから、価値があると言えるわ。
(姉さんにしては、)いい回答だ。
様々なものに交換できる状況があれば、お金には価値があると言えるだろう。
では次の質問。
「食べ物」には価値があるだろうか?
当然、価値があるわ!
生理的欲求の1つである、食欲を解消できるからねっ。
そうだね、食欲を解消できる食べ物には価値があるはずだ。
更に次の質問。
「その辺の石」に価値はあるかい?
これはないと言える。
「その辺の石」も、「ストレスの発散のための道具」や「武器」として、役に立つことはあるけれど……大抵の状況では、必要な量に対して数が多すぎるから価値がない、というわけね。
うん、欲求の解消ができるものであっても、希少性や独自性が皆無だと、(特殊な条件を満たさない限り)価値はなくなってしまう。
次。「感動」には価値があるかな?
かん……どう?
今までの質問と違って、物理的なものではないみたいだけれど……前に言っていた「心理的な欲求」のうちの、何らかの欲求を解消しそうだし、価値はあるんじゃないかしら?
感動できる映画を見たいから、お金を出す、という人もいるみたいだし。
その通り!
内面の感情にプラスの効果を与えるものも、価値があると言える。ストレスの発散とかに繋がったりするからね。
では、「怒り」に価値はあるだろうか。
……はいっ?
そんなもん、あるわけないでしょーが。
無価値よ。無価値。
実はね、「怒り」という内面的な感情においては、「資本主義」と「価値主義」で、意見が変わる。
ええっ!? そうなの?
お金を重視する「資本主義」においては、「怒り」は直接的な収入にはならないと判断するから「あまり価値がないもの」として認知される。
一方、価値を重視する「価値主義」においては、「わからない」もしくは「価値があるかもしれない」になるだろう。
「怒り」という感情は、本当に価値があるかどうか……現時点では、まだわかっていないよね?
もしかしたら、怒りを可視化(数値化)することで、
・面接で採用しやすい人材かどうかを判断
・精神病の人に効果がある治療方法の発見
・ライフスタイルの改善
・炎上マーケティングの誘導
・相性の可視化
などが可能になるかもしれない。
言われてみれば、確かに……。
直接的な収入になるかどうかはわからないけれど、よく調べた上で利用すれば、間接的な収入にはなるかもね。
そうそう。
価値主義というは、こういった直接的な収入には結びつかない性質のものに焦点をあてて、本当に価値があるのか無いのかを調べたりするんだ。
「お金」より「価値」に重点を置いているからこそ、為せることだね。
でもなんだかんだ言って、儲からないとやらないんでしょう?
ふふふっ。それはどうかな……?
「色々な価値」の話はこのへんにして、次は「価値の発見と有益性」について語っていこうか。
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