前回の『本質的価値と付加価値の使用例を「枕草子」と「徒然草」に学ぶ』という記事を書いた時にふと思い出したことがありました。
それは以前、西野亮廣氏に対して少々批判的な記事を書いたことです。
あ、いえ、少々ではありませんでした。
めっちゃケンカ売ってるやないですか。
しかし後で訂正したいことができましたので、残しておこうと思います。
上記リンク先の記事では、ラグジュアリーのマーケティングの話をしています。
要約すると「西野氏のサロン内にいない普通のお客さんから見ると、さほど価値のない物をテクニックを駆使して売りつけようとしているように見える(だから叩かれる)」という話です。
しかしこの後、西野氏の動画や過去のブログ等で「商品のクオリティが高いのは当たり前」という旨のことを仰っておられたことを知りました。
上記リンク先の動画では仰っていませんが、それ以前では仰っておられたのですね。
つまり西野氏は、本質的な価値については「あるのが当たり前」として、さっと流してしまったので、動画を視聴した人にはそのことが伝わっていない状態でした(会場にいる人はサロンメンバーさんなので、彼らへの説明は必要ないでしょうし)。
そのような状態で、付加価値を付けるマーケティングの手法を熱心に語っているために、需要側であるお客さんの立場100%で話を聞くと「本質的な価値のまったくないものを、マーケティングの力でムリヤリ売ろうとしている」という印象になってしまったようです。
というわけで、決して西野氏は「本質的な価値について、全然言及していなかったというわけではない」ということをここで書き残しておきたいと思います。
とすると、ここで一つ、もやっとすることが出てきました。
以前に挙げた例で言えば、シャネルのスーツとか。
あれは「男性視点の女性の美しさという束縛を解放し、女性を自由にする」という哲学が含まれていて、それが「本質的な価値」なのですけれども。
それを積極的に謳っている様子はあまり感じられません。
これは何故なのでしょうか?
その答えは「そんなことをしなくても、一定の顧客は既にいるから」です。
わかりやすく言えばリピーターであり、その人のみならず家族や親族など。
お金持ちの良い家の人らは皆さん、周りもそんな人らばっかりですもんね。
さらに彼らは、むしろ「ブランドイメージという付加価値のみに注目する、本質的な価値をわかっていない客」の中でも「著しくブランドイメージを損なう客」は、むしろ「シャネルの顧客として相応しくない」ということで排除しようとします。
ここら辺の話にご興味ある方は、以下の記事もよろしくお願い致します。
ちなみにラグジュアリーではないプレミアムやそれ以下の商品の場合、本質的な価値は「機能」とか「道具として役に立つ」とか、そういうものになります。
それらは「あまり力を入れて訴えなくても、お客さんには理解しやすく伝わりやすいもの」なんですね。
以上です。