タイトルがてんこ盛り過ぎて、わけわからん状態になってしまいましたが。
ここで書きたいことをものすごーくわかりやすい言い方にすると、以下です。
◎日本は横の動きが足りない(ので、横の動きを意識する)
そしてこのことを学ぶには、何か特別な教育とか研修とか、そういう意識高い系の何かが必要なわけでもありません。
率直に申し上げて、閲覧注意なエロ満載のエンタメ作品でも可能です。
相も変わらず手前味噌ですがm(_ _)m
話を戻します。
まず「STEM教育」というものがありまして、それは2000年代にアメリカで始まった教育モデルで「Science、Technology、Engineering、Mathematics(科学・技術・工学・数学)」の教育分野を総称するものです。
主に理系の人材を育成しようとする教育ですね。
この「STEM教育」に「Arts」を加えたものが「STEAM教育」ですが、ここで言う「Arts」は日本人の想像する芸術のみならず、文系の学問である歴史や哲学なども含まれます。
ちなみに欧米の教育体系では「Science、サイエンス(=神がお創りになったもの)」と「Arts、アート(=人が創ったもの、芸術や歴史全般)」とに分けられており、この分類では日本の文系と理系に分ける方法とは一致しないところがあります。
もっと言えば「Arts」は古代ローマ時代のラテン語「ars」に遡り、二つに分かれていました。
それが「artes mechanicae(機械的技術、アルテス・メカニケーと読む)」と「artes liberales(自由の諸技術、アルテス・リベラレスと読む)」であり、前者は主に非自由民(=奴隷)向け、後者は自由民向けの「自由民がより自由になるためのもの」とされていました。
で、この後者の「アルテス・リベラレス」を英訳したものが「リベラル・アーツ」です。
(「アルテス・リベラレス」は後に「septem artes liberales(自由七科、セプテム・アルテス・リベラレスと読む)」として正式に定義されます。
この自由七科の内訳は、文法・修辞学・弁証法(論理学)の「三学」と算術・幾何・天文・音楽の「四科」であり、この自由七科の上位に「自由七科を統治するもの」として「哲学」が君臨していました。
哲学って、すごくね?)
この「リベラル・アーツ」の教育に焦点をあてた四年制大学に「リベラル・アーツ・カレッジ」というものがあり、世界ではアメリカ合衆国に集中しているそうです。
「リベラル・アーツ・カレッジ」の学生さんは卒業後すぐに就職するのではなく、専門の大学院に進まれる人が多いそうです。
(「リベラル・アーツ」教育は日本でも近年、老舗の国際基督教大学だけでなく桜美林大学や国際教養大学など、力を入れている大学も出てきました。
……が、まだまだ少ないのが現状です)
で、この「リベラル・アーツ」をもうちょっと具体的にいうと、大学の一般教養課程よりも深く幅広く学ぶものだということが伺えます。
そしてその中には「哲学」が含まれているのです。
GAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)には哲学者がいるそうですよ?
GAFAMのような巨大なIT企業には、バリバリの理系の人しかいないような気がしませんか?
哲学って、日本では文系の中でも最もお金の稼げない学問として有名ですよね?
というわけで、結論の「横の動き」について。
日本人は狭い分野の専門家になるのが良いとされ、そこから外れることを良しとしていませんでした。
サラリーマンなら職種や業種だけでなく、同じ会社にずっと勤め続けていることが良いとされてきました。
文系理系にきっちり分けられて、お金にならない文系の学問は軽視されてきました。
そんな日本に対して多額の資金を湯水の如く使い、従来から重視されてきた(日本で言う)理系の分野のSTEM教育に、幅広さをもたらすために「Arts」を追加したアメリカ。
そのアメリカに対抗するためには、どうすれば良いか?
アメリカほどのお金はかけられませんし、それ以前に政府はその必要性も感じてくれてはいないようで(残念ながら)。
となりますと、私たち一人一人ができることをがんばるしかありません。
それが冒頭に書いた「横の動きを意識する」ことです。
自ら横の動きを意識して考える行動する、あるいはその状態で他の人と話をするなど。
また「横の動きをする人、または試みる人を貶さない」これもまた、意識する必要があります。
私が個人的にやっていることでは「失敗」「挫折」などのネガティブな言葉を「横の動きを探る」という言葉に置き換えています(心の中で)。
そう言えば以前、堀江貴文氏も著書『多動力』で「すべての産業が「水平分業型モデル」となり、結果“タテの壁”が溶けていく」と書かれていましたね。
もちろん一つの仕事ですごい才能を発揮している人は素晴らしいし、それでずっと生きていけるのも喜ばしいことだと思います。
ただ、全体的な世の中(=世界)の流れはこうなっているし、職を転々とする人を「根性なし」とバカにするのは、回り回って結果として自らの首を絞めることになるじゃないかと。
そういう人をバカにするのは、バカにされた人が気の毒だという人権問題だけの話に留まらないと、そういうことが言いたかったのでした。
※今回の記事はウィキペディアをもりもり参考にさせて頂きました