※この記事は『ニート・引きこもりで悩む親御さんへ』の第五章の内容の一部を抜粋し、編集したものです
後編はこちら。
スイスが嗜好品で成功しているのは何故か。
その答えを一言で言えば「禍を転じて福と為す」という諺になるかと思います。
日本が敗戦から立ち上がってGDP世界第二位(バブル絶頂期に一瞬だけ一位)になることができたのも、ある意味「禍を転じて福と為す」ことができたと言えるでしょう。
何故なら、日本は他国に比べて自然災害が多いですから。
日本が如何に災害の多い国なのかについて、一般財団法人国土技術研究センターの公式Webサイトのこのページに以下の記述がありました(ふりがなは削除しました)。
日本の国土の面積は全世界のたった0.28%しかありません。しかし、全世界で起こったマグニチュード6以上の地震の20.5%が日本で起こり、全世界の活火山の7.0%が日本にあります。また、全世界で災害で死亡する人の0.3%が日本、全世界の災害で受けた被害金額の11.9%が日本の被害金額となっています。このように、日本は世界でも災害の割合が高い国です。
何ですかこれは。何て悲しい国なんですか日本って。私はずっとそう思っていました。
しかしですね、国の立地条件が悪いという話ではスイスも負けていません。日本は確かに自然災害の多い国ですが、温暖湿潤な気候そのものは「農業には適している」と言えるでしょう。農業は生きていくために必要な食糧の生産という最も基本的で重要な産業です。
ところがスイスの国土のほとんどは山です。冬になると雪が降り積もり、農業をすることができません。そのために酪農に力を入れて乳製品が有名になり、そこからネスレという会社ができました。またこれがリンツのミルクチョコレートにも繋がっています。
また、何で腕時計のような精密工業が盛んになったのかという理由も同じです。冬場になると農業ができなくなるという事情により、それが納屋で懐中時計の製作をするようになったことに繋がりました。懐中時計の製作には他の工業製品のように大きな工場は必要ありません。農家の納屋を改造して設けた狭い作業場でも可能です。
(日本の社会科の授業では「スイスは高地にあって、水や空気が澄んでいてきれいであるから」と、利点を生かして精密機械が盛んになったように習うわけですが、実際は「冬になると雪だらけで農業ができない」という負の理由が最も大きなものだったようです)
スイスの国土のほとんどが山だったことの悲劇はそれだけではありません。ネスレやリンツ、あるいは腕時計が有名になってからは良いものの、それまではどうしていたのでしょうか。その雪山を利用してできることは何かと言えば、きれいな景色とウインタースポーツを目玉に観光に力を入れることです……ということをスイス政府も考えたので、観光ポスターのデザイナーを養成するなどして誘致をがんばりました。その結果優れたデザイン力を発揮できるようになって、今現在の高級腕時計の隆盛などにも繋がっています。
この「デザイナーを養成する」というのは、スイス国内に雇用を創出したいという別の目的もありました。スイスのもう一つの悲劇は、日本と違って陸続きであったことです。昔のスイスでは農業以外の雇用も乏しかったため、国外に出て傭兵という職業に就くことを選択する人がたくさんいました。
スイス人が周辺各国の傭兵となって雇われて、その国同士が戦争を始めたとします。ある時は敵も味方もほとんどがスイス人の傭兵ということもあります。スイス人は日本人と同様に真面目で勇猛ですから、敵前逃亡することなどはありません。そしてその後故郷に帰ったら「その時戦った相手の軍に自分の友人知人、あるいは時として家族が含まれていて亡くなっていた」という事実を知るということもあったでしょう。自然災害も悲劇ですが、傭兵のような仕事をせざるを得なかったというのもまた悲劇だと私は思います。
観光にデザイン、高級な腕時計。スイスの主要な産業では嗜好品が並んでいます。それとあと金融業もありました。農業に不向きだからこそ、これらの産業が盛んとなったのです。
近頃の日本でも「観光立国」などと言い出していますし、実際に海外からのお客さんもたくさん来られるようになってはいます。しかしそれらのほとんどは、我々の先人が過去に築いてくださっていた遺産によるものです。
こういう「文化」を創造したのは何なのかと言えば、それは「人」です。つまり「文化」を大切にすることは「人」を大切にすることであり、逆に言えば「人」を大切にできない国は「文化」を育てることもできないし、大切にすることもできません。
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