「天網恢恢疎にして漏らさず」は「天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ(コトバンク様のデジタル大辞泉より)」という意味です。
ここから記事を書こうとして、途中で気付いたのですけれども。
前回のその一「寄らば大樹の陰」よりも、今回の方が優先度高かったような気がしました。
そう言えば私、前日の記事『家庭科の授業に「金融教育」。え? IMAKARA様…?』の最後に「優先順位の付け方がおかしいねん」とかぬかしてましたけど、それ「お前もやん!」て感じですね。
さらに、実はこの「天網恢恢疎にして漏らさず」については、既に表ブログで書いていたことも思い出しました。
該当部分を以下に引用します。
例えば企業や学校の不祥事が明るみになることが多くなって、教師による痴漢などの犯罪も多くなっておりますが。
これは不届きな企業やら学校や教師やらが多くなったというよりは、テクノロジーの発達によりネットやスマホや監視カメラの精度が上がり発覚することが多くなった、ということともう一つ。
それらの事件がインターネットにより拡散し炎上することを避けるために、不祥事を起こした者は速やかに退職に追いやられるという場合がほとんどとなっているのではないでしょうか。
昔のように、痴漢行為を繰り返した教師がその事実を隠されて田舎の学校に飛ばされる、ぐらいでは済まなくなっているということです。
それにしても、インターネットの発達とはものすごい勢いですよね。
これからは人どころか物まで相互に繋がるようになるという話ですが(所謂IOTとかいうヤツですね)。
つまり、諺の
●天知る、地知る、吾知る
というものは、ネットにより「天」と「地」とが増幅されていきます。
あるいは、●天網恢恢疎にして漏らさず
という諺に至っては、そうは言っても今までザル状態だった「天網」にもう一枚「ネットの網」が重ねられています。
そしてもう一枚のネットの網の目がどんどんどんどん細かくなっている、という状態です。
このことについては間違いなく細かくなる一方向へと進んでいき、停滞することはあったとしても逆戻りはありません。
引用は以上です。
最後の「このことについては間違いなく細かくなる一方向へと進んでいき、停滞することはあったとしても逆戻りはありません」は、ちと言い過ぎのような気もします。
これを書いた後にコロナとか戦争とかありまして、後戻りしていることもありましたので(長期的に見ると、一時的なものでしょうけども)。
この「天網恢恢疎にして漏らさず」とほぼ同じような意味を持つ諺には、引用文中にも出ました「天知る、地知る、吾知る」があります。
また、略して「天網恢恢」という四字熟語で使われることもあり、この類義語として「天に眼」「眼は天を走る」という表現もあります。
というわけで、今回の「天網恢恢疎にして漏らさず」を四段階評価(S/A/B/C)で言えば、以下のようになります。
……せやから、サムネイルでばればれやっちゅーねん。
(このような記事は多分、シリーズ化してこれからも続けると思います。
元ネタは『幸福論~ただし、令和時代を生きる日本人専用~』の「番外編五、これまでの番外編の内容の使用例を挙げてみる」で触れた話でした)