今回の話は、以下の記事の補足的なものです。
この記事の「好きなものがないというのは言語化できていないだけであり、本当は存在する」場合についてです。
画像で要約すると以下のような話です。
葉のつき方、パルテノン神殿、ピラミッド……と、挙げていくと……。
ここまでで私が何を言いたいのか、わかった方もおられるかもですが。
話を戻しまして、これらのものが美しいのは何故なのかと言いますと。
これは「黄金比」と言われるものを集めたものなのです。
昔、これらを美しいと感じた人がいる一方で、感じない人もいました。
感じない人は感じた人に説明を求めましたが、説明できませんでした。
「説明できないのだから、そんなものはないのではないか」
「それは、あなたがそう感じるだけなのではないだろうか」
そのように言われると、感じた人は「そうかも?」と思いますよね。
しかしこの「黄金比」というものがわかったら、どうなりますか?
「これらはすべて黄金比によって、美しいと感じられるものです」
という説明ができるようになります。
で、ですね。
この美しさとは「説明ができるようになったから、その時から存在するようになった」のでしょうか?
そんなことはありません。
美しいのは昔からの話であり、その説明が後からできるようになったということに過ぎないのです。
黄金比についてもっと知りたい方は、現代ビジネス様の以下の記事もどうぞ。
あと、岐阜県総合教育センター様の記事『黄金比のいろいろ』もおすすめです。
というわけで、言いたかったことは以上ですが、以下追記で。
以前この記事でゴッホの絵について、生前には評価が低くてほとんど売れなかった話をしていました(以下、引用します)。
ゴッホが生前売れた絵は『赤い葡萄畑』一枚で400フラン、現在の貨幣価値で言えば5~10万円でだそうです(所説ありますし、また弟のテオに引き渡した時点で絵が売れたと考えると、結構売れてるやん……て、話にもなります)。
生前に売れた絵は一枚だけで、しかも大した値段ではありません。
しかし死後、何億とか何十億とかいう破格の値段で取引されます。
ゴッホの死んだ後に、誰かが絵に手を加えたわけではありません。
ではここで、一人の美術評論家がいるとしましょう。
彼はゴッホの生前に価値がわからず、絵を貶してしまったとします。
後にその絵が高い評価を得ることになりましたが、どうでしょうか。
美術評論家としては、ものすごいやばい立場になると思いませんか。
(一般人であっても、恥ずかしい思いぐらいはするでしょうけども)
つまり、わからないという理由だけで貶すのはやめた方が良いです。
以前、以下の記事で「無知の知」について書いていましたけれども。
該当部分を引用します。
Q, 教養が「ないとは言えない」という状態にするコツとは?
A,「無知の知(を知る状態)」で、謙虚かつ寛容でいること
「無知の知」を知る状態で、わからないという理由だけで貶さないことは、謙虚さを表すことのみならず、自分の身を守ることにも繋がります。
なので、やっておいて損はないのではないかと、私は思うております。