前回の記事を書いていた時に、思い出した話です。
えーと、多分四~五年ぐらい前の話になりますか。
かつて、とある趣味のブログを書いていたことがありまして。
それでそのブログサービスの機能を使って足跡をつけたり、つけてもらった方のブログを訪問させて頂いたりなどしていたことがありました。
その相手先の方の中に、とある男性の方がおられました。
私から、お返し的にコメントを書いたこともありました。
彼の撮った写真の中にあった持ち物を褒めた内容でした。
彼からのコメントはありませんでしたが、いつも拝読させて頂いていて悪いなと思ったもので……先に書いておきますが、それでお返しがなかったと言いたいわけではありません。
かなり時間が経ってから、この男性の記事を拝読して驚いたということが書きたいのですけれども、その前に。
この男性はちょっと自虐的な笑いを含めて「彼女がいない」とか「結婚できない」とか、そういうことを書かれていました。
ただし、ご自身では見た目等について、そんなに悪いと思っておられないことが記事からは伺えました。
(点数が甘いとかではなく、恐らくそれは本当のことだったでしょう。理由は後述)
で、その趣味のブログを書かなくなって、そのブログサービスにログインしなくなると、拝読致した時に足跡が付かない状態になりましたが。
その後も、その男性の記事をたまーに拝読致しておりました。
でもその男性は、私が読まなくなったと判断したのでしょう。
名指しではありませんでしたが、悪口っぽい記事がありました。
その記事は以下のようなものでした。
「俺の持ち物を褒めるけど、そう思うなら黙って買えば良いのに。
そういうことを何故ここにわざわざ書くのか、意味がわからない」
うわぁー、社交辞令を全否定しますかー。
これは、モテなくて当たり前でしょー。
彼がかなり仕事ができてかつ、見た目も良かったとしても、これは無理です。
前回の記事でも触れましたが、女性の世界は「社交辞令ぐるぐる巻き」です。
つまりこの男性の正解は「良いなと思ったら褒めない(=要らんことを言わない)で、黙って自分も買う」ということなんでしょうね。
むかーし、昔、私が子供の頃に、男子が受けていた教育そのままです。
この男性は親の言うことを素直に聞く、良い子供だったんでしょうね。
私はこの男性を見下すつもりで書いたのではなく。
悪口を書かれたことで、腹を立てたわけでもなく。
心の底から、気の毒に思ったのです。
何故ならば、かつて、そんな弟がいたからでした。
(この男性が悪いのではなく、教育が悪いのです)
というわけで、ここでふと思ったのですが。
今の日本人にとって、島崎藤村の「夜明け前」は他人事(というか小説ですけど)ではないのではないかと。
明治維新よりも遥かにわかりにくいですけれども、我々は今、激動の時代の渦中にいるのではないかと。
そのように感じました。