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……ということを今は、ALISとHiÐΞでやっておりますが。
いずれはツイッターで公開し、そこで主にひきこもりでお悩みの皆さん、あるいはご家族や支援者さんの皆さんに参加して頂きたいと思っております。
私の目的は「自殺の防止(現在かつ直近のもの)」と「次世代に対応できる人材の育成(遠い将来のもの)」です。
後者を具体的に言えば、まずは「芸術やラグジュアリーのわかる人材」を育てる必要があり、この「芸術やラグジュアリーのわかる人材」が掴むことのできる「情報」を上手く「使う」ことのできる人こそ、私の考える「次世代の人材」なのです。
その「次世代の人材」として、従来の価値観に合わなくてひきこもり状態に陥った人の中に、むしろ向いている人がいるのではないかと、私は本気で考えています。
そもそも、ひきこもりって一口に言うても幅が広すぎるんですよね。
というわけで、逆に向いていない人もたくさんいるでしょうけども。
向いていない人とは、例えば「従来の価値観で問題なく、仕事も順調で稼ぐことには何の問題もなかったが、人間関係の問題でひきこもり状態に陥った」という人が考えられます。
そのような場合でも、何か得られるものがあり、やって良かったと思って頂く必要があるわけで……その場合、私は「方向性がわかって良かった」と思って頂けたら良いかなーと考えておりましたけれども。
逆に言えば、ここの部分がない場合は「何もない」になってしまうやないかと、最近思うようになりました。
となりますと、今まで書いたものをさらにわかりやすく書き直して、訴える必要があるなと。
まずは日本が全体的に貧しくなった話から、よりわかりやすく考えてみました。
というわけで、ここから本文です。
日本が貧しくなった理由を一言で言えば「供給過剰」です。
もっと言えば「供給側の人材である労働者が過剰」であることです。
(何でそうなったのかと言いますと、まず「時代の進歩によって生活に必要な物が満たされたこと」と「テクノロジーの進歩によって需要が減ったこと(例:中古市場が隆盛になり、新品が売れなくなる等)」が理由として挙げられます)
同じ供給側の中でも資本家(株主)が増えるとましなんですけどね。
……ということで、NISAとかiDeCoとか、やってますよね、政府が。
※いらすとや様から頂いた画像を使用させて頂きました
労働とは「手段」であり、その「目的」は生産活動なんですよね。
労働に勤める、即ち勤労は良いことですし、生産活動として非常に有効です。
でも、手段はどこまで行っても手段であり、目的ではないのです。
労働という手段=生産活動であった時代は、お客さんにとって必要な物がないかまたは足りない時代までの話です。
今は概ね必要な物は足りている状態でありますから、勤労に勤労を重ねて物を製造しても、その市場にいるお客さん全員に「もう持っているから要らないんだよね」と言われて誰にも買ってもらえない、ということも起こり得る状態です。
と、そうなるとその製品はゴミとなるわけですよ。
それを避けるためにどうするかと言いますと、安くして売るということをします。
それでお客さんが買ってくれるところまで安くして売れたら、良かった良かったゴミにはならなかったねー、という話になるわけですけれども。
売れた時点でのその商品の利益はかなり減っていますし、その中に人件費(=従業員に払う給料)が入っていますよね。
当然ながら、そのお給料も安くならざるを得ません。
それ故に「国民に投資を促して、労働者の立場だけでなく資本家の立場に(少しでも)なってもらう」というのは、先々のことを考えると当然のことでしょう。
それともう一つ、生活に必要な物は足りているわけですけれども。
生活に必要ではないけど、あれば幸せになる欲しい物があります。
政府も力を入れている観光、あれもそのうちの一つです。
しかしあれば幸せになる欲しい物というものは、実は難しいものです。
何故ならば、その「あれば幸せになる物についての能力」を持たない人にとっては「単なる消費で終わってしまいがちなもの」だからです。
(この能力を持つ人の中には、例えば旅行系のユーチューバーやブロガーになってお金を稼いでいる人=消費で終わっていない人もいます)
つまり、その状態に近い今の日本では、この部分の需要は「ギャンブルや射幸心を煽る消費」が非常に目立つ状態であると言わざるを得ません。
というわけで、上記の供給側で「労働者から資本家にできるだけシフトさせる」ということに加えてもう一つ、需要側で「新たな需要を掘り起こすこと」と「価値創造」もまた非常に有効な手段であると、私は考えています。
ただしその「新たな需要」は単なる「消費」で消費し尽くしたら終わり、というものではなく、継続かつ循環していく「投資」に限られます。
投資とは「自分への投資」と「家族(主に子供)への投資」と「金融商品(他人)への投資」の三つに分けられますが……って、これを言い出すと長くなるので、今回はやめときます。
というわけで、冒頭の「芸術やラグジュアリーのわかる人材」の言い方を変えますと「新たな需要を掘り起こす能力のある人材」「価値を創造することに役立つ人材」にもなるわけです。
(まずは、能力がないとお話しになりませんで、如何にしてそれをお金に換えるかはその後の話で)
で、ここら辺の部分をまとめると以下。
「客側の能力のうち、生物なら自然に持っている消費(食糧と水、電気などのインフラ)はとっくの昔に頭打ち。
人として生活していくことのできる消費も、頭打ち。
大きなものはギャンブルや射幸心を煽る消費ぐらいだが、大多数の人はそれに手を出さない(または出してもすぐに撤退)し、手を出した人もお金が尽きて終わる。
だから、新たな需要の中でも投資に該当するものを掘り起こしてかつ、価値を創造する必要がある」
というわけで、結論としてはですね。
「新たな需要を掘り起こして価値を創造する」ことで、かつ「消費でなく投資」であり、日本という経済圏の中で循環させそれを継続させること。
その中に「人材」を含めて考えていること。
……を、訴えたいのですけれども。
ここからどうやって、よりわかりやすくすれば良いのでしょうか?
わかりやすくするつもりで書いたのに、いつものように長ーくややこしーくなってしまったなぁーと。
まぁ、今回はたたき台としておけば良いかー。
まとめると以下。
1,供給側で、労働者から資本家へ
2,需要側で、新たな需要を掘り起こす
3,価値を創造する(供給側・需要側)
以上となります。
最後の「価値創造」についての詳細は以前、以下の記事で書きました。
こんなややこしい話を一つの記事でまとめて、わかりやすく書くなんて無理ちゃうんかーい!
……と、思わないでもないですけれども。
そこを何とかしなきゃなぁー、何とかー。