ものすごーく大きく言えば、情報には発信者と受信者がいるわけですけれども。
この情報の伝達手段の中に文字があって、その中に記事やら文学的な作品やらが含まれます。
というわけで、タイトルの「筆者の気持ちや最も書きたかったこと」の中でも前者については、前回の以下の記事がその例として挙げられるでしょう。
上記リンク先の記事では「国語の試験で問われた作者の気持ちが、実は正しい解答ではなかった(が、その正解は重要な情報とは言えない)」という話をしています。
そしてこの記事でもリンクしていましたが、後者の「最も書きたかったこと(が、真の重要な情報とは限らない)」については、以下の例が挙げられます。
ただし、この記事は「よりお金持ちになれたのはこちらの情報だった」という話であり、メインの情報が重要ではないというわけではありませんが。
今回にお話ししたかったのは『源氏物語』の話です。
作者の紫式部が最も書きたかったテーマは「因果応報」だと言われています。
(所説ありますが、王道的なものはこの解釈)
ただし、私が個人的に思うのは、この「因果応報」よりも「虚構(物語)であるからこその真実」の方が、これからの時代に重要で有益な情報ではないかと。
言うまでもないことですが、メタバースってリアルじゃないですもんね。
この理由で、一般的な話で言うても「重要で有益な情報」ですけれども。
個人的な理由でも、このことは「重要で有益な情報」だったりします。
該当部分を以下に引用します。
というわけで、今年の抱負です。
◎匿名であるからこその真実
……って、もしかしてバレました?
これは紫式部の「虚構(物語)であるからこその真実」を応用したものです。
紫式部は源氏物語で「事実であれば勝者による歴史の上書き行為や実在の人物への配慮などの理由によって、かえって真実から遠くなっていまう。だから思い切って書ける虚構の物語にこそ、真実は語られやすくなる」ということを書いています。
そこで私は、虚構の物語というところを人物まで拡大解釈して考えてみました。
ら、やっぱり「匿名だからこそ、恥を捨てて書きたいことを書ける」というところであり、それを「真実を含めた良い方向で使うのが望ましいのではないか」と思ったわけです。
引用は以上です。
というわけで、書き手の書きたかったことが必ずしも読み手の最重要な情報ではない、ということがあるという話でしたが。
これって、抽象画に似ているなぁーと感じました。
抽象画というものは、現実にある見たものに囚われずに自由に表現してできたものであり、それを観る人も何が描いてあるかなどに囚われずに自由に感じて鑑賞するもの、らしいですけれども。
「観る側の人が自由に感じて鑑賞する」というところが、先ほどの「自由に情報を取得する」というところと共通しているような気がします。
……だから芸術とWeb3.0やメタバースって、親和性があると思いませんか?