「教養」と言えば、身に付けるのは非常に難しいイメージがあります。
が、実は、誰もが持っているものでもあり、持っていない人の方がむしろ稀です(ひろゆき氏も仰ってましたけども)。
しかし、それが「自らの教養であると、はっきり認識する」ことは、少々難しいことかもしれません。
この「教養だと認識する」ことができないと「教養がないも同然」であり、カントのコペルニクス的転回で言えば「教養がない」となってしまうわけです。
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この「教養」をより具体的な形で表すと、それが「リュクス」となります。
(「リュクス」とは、一般的には「ラグジュアリーの仏語訳」と説明されることも多いですが、ラグジュアリーよりも個人の思い入れが強いものを指し、逆に高価であるという意味が薄れます)
その「リュクス」が他の人にも幅広く評価されると価格が高くなりますので、それが「ラグジュアリー」となるわけです。
で、これらを図にまとめると、以下のようになります。
以上。