今年の春ごろに「サピエンス全史」を読んでから、いろんなものが「宗教っぽい」ものに見えるようになったので、今回はそれについて書いていく。
まず、「サピエンス全史」という人類史の本についてなんですけど、
サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福www.amazon.co.jp
2,090円(2019年12月12日 21:35時点 詳しくはこちら)
この本には、「虚構」というものについて詳しく書かれていて、虚構について知らなかったぼくは頭をかち割られるような衝撃を受けた。
虚構とは
実際にはない、作り上げたこと。作り事を仕組むこと。フィクション。
だそうで、ぼくたちホモ・サピエンスだけが扱うことのできるものである。犬とか猫とか鳥とかには虚構を扱うことはできない。虚構は人類にとって1つの武器である。
で、ぼくが冒頭に言った「宗教っぽい」ものとは虚構のことで、「宗教」は立派な虚構の代表例である。ほかにも、「結婚」「法律」「会社」「◯◯主義」とかが虚構の例になる。
今年の夏頃かな、セブンイレブンのあるフランチャイズオーナーが24時間営業をやめるといって、ニュースになったの。
「いつ行っても開いているお店」の代表といえるコンビニ業界に「24時間営業」をやめると言うオーナーが現れ、そこから小売や飲食業界の「常識」がガタガタと音を立てて崩れていった。
たとえば、ガストとか外食業界で年末年始の営業をやめる会社が続出したり。
ロイヤルホストなど一部の会社では7〜8年前から短時間営業に取り組んでいたそうだが、ほかのお店の多くは昭和から続く「お店は長い時間開くのが偉い」教から抜け出せずにいた。
なかには、利益も顧客満足度も下がるのが目に見えているのにランチ営業をする居酒屋とかあったりする。外部からみたら「ナゾ」だけど、内部からしたら「当たり前」のことだったりするらしい。身体を張って売上を上げるために命を削ろう、みたいな。
こういった「思い込み」は長い年月をかけて業界の人たち同士で作りあげた「虚構」の1つと言えるかもしれない。
外からみれば「ナゾ」なことも「虚構」に浸かり中からみたら「当たり前」のことに変わる。
虚構について考えさせられる本として、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 をオススメしたい。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルーwww.amazon.co.jp
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アイルランドと日本の「ハーフ」である著者の息子が、「人種」「貧富」「性」「宗教」などあらゆるレイヤーの交じり合った小中学校に通うなかで、あらゆる障壁にぶつかりながらも成長していく過程が描かれたノンフィクション。
まわりと違うところがあるからアイデンティティについて気にしたり、でもよくよく考えると1人1人違いがないことなんてあり得ないという現実を目にして「違いがあって当たり前」という感覚を得たり。
混沌とした世界の中に振り回されるのではなく、「世界はそういうものだ」という感覚を持っていることはグローバル化がどんどん進む世界において大事なことだなとおもった。
世界が変われば、「国家」とか「◯◯主義」といった虚構自体も変わっていくし、じゃあその虚構って一体なんだったんだ、ってなってくる。そういった機会は、ITとバイオテクノロジーが世界を変えていくこれからの時代では増えていくはず。そういったことを仮体験できる本だった。
結局、人は皆、歩んできた人生はちがっていて何を主張しても「主観的なもの」になる。どれだけ世界を旅しまくって多様な文化に触れても、1人1人の人生を体験することはできないし、どうしても偏りができてしまう。
偏りができてしまうのは知らないことが世の中にあるからだが、それが悪いということではない。知らないことがあって当たり前で、ある意味「偏見」とかもあって当たり前かもしれない。
偏りがあって当たり前、知らないことがあって当たり前、じぶんたちは「井の中の蛙」だ、ということを認めたうえで生きていくと、視野が広がり人に優しくなり世界が面白く見えるんじゃないかな、とかおもった。おしまい