断捨離を始めるにあたった「穢れ」についての考察はこちら。
私は昔、汚部屋の住人でした。今は部屋の片づけが習慣となり、比較的整理された環境を自室内に保っているのですが、高校まで過ごした実家の自室は常に荒れ放題。家族からは「豚小屋」と呼ばれ、母からはいつも掃除をしなさいと叱られる毎日。とはいえ、結果的に母が掃除してくれるので片づける習慣が全くありませんでした。
大学に入って遠方で一人暮らしを始めても、片づけることのできない日々が続きます。母がいないので部屋は散らかる一方。しかし、片づける習慣のない人間にとって、片づけなくてはと思えば思うほどどこから手を付けていいのかわからない。甘えのように聞こえるかもですが、当時の私は本当に片づけ方がわからず、途方に暮れていました。普通に暮らしているだけなのに、人よりも部屋が散らかる理由がどうしてもわからなかったのです。
大学時代の親友が、当時下宿していた部屋に遊びに来てくれた時に、豚小屋状態になる理由を教えてくれました。
「お前の部屋、ものが多いねん。多すぎるわ。」
自覚はなかったのですが、豚小屋となる理由が片づけなきゃいけないものにあふれていたことだと、その時に初めて気が付いたのです。親友の力も借りて、部屋の整理をとにかく実施。しかし、当時は単純に「整理」だけで、物置にそれらのものを保管して、居住スペースが散らかることを防ぐ応急措置のような対応をしていました。
大学から大学院へ進学するために引っ越した際、結構大量のものを処分しました。この時から、部屋がきれいに保たれる頻度が高くなり、片付けをする心理的なハードルが下がったように思います。その後、社会人となって引っ越しをするたびにものを処分していったことで、片づけなくても片付いている状態に落ち着いていくようになりました。
しかし、「もったいない」という感情はいつでも付きまとい、引っ越し作業に時間がかかりすぎてしまう弊害がありました。もともと、物持ちの良い両親を見て育ちましたので、何かを捨てるというのは「使い切って、故障などでどうしようもない」時にしか起きないシチュエーションでした。だから、「今は使わないけど、いつか使える」とだましだましにしていたものたちについては、結果的につい最近まで埋蔵物として物置の奥深くに鎮まっていたのです。
2022年1月、天からの啓示(私の師匠からの新年のあいさつ)で片付けの重要さに触れられていて、一念発起。これらの埋蔵物を処分する決断をしたのです。
続く。