昨日閉幕した東京オリンピック。
その開催にあたって、連日のように報道されていたのが国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長の挙動でした。コロナ禍の中で開催にこだわる姿勢は、巨額の放映権収入を死守するためであるとか、滞在する高級ホテルや不要と思われる広島表敬訪問などの贅沢三昧がクローズアップされ、日本国民の感情を逆なでするような発言もマスコミで取り上げられていました。
しかし、IOCの放映権収入のうち、9割近くは加盟するスポーツ団体へ分配されることなど、IOCが担っているオリンピックスポーツの振興という役割を踏まえてバッハ会長のことを伝える報道は少なかったように思います。
もちろん、コロナ禍でのオリンピック開催に対し積極的なリーダーシップをとらず、開催にだけこだわる姿勢や高額接待などで開催国に負担を強いる状況にかんがみて「ぼったくり男爵」と言われても、仕方なかったかとは思います。
ただ、収入の大部分がスポーツ振興のために拠出されているのだとしたら、バッハ会長一派をたたくより、どのような形でIOC収入が活用されているのかを追う報道があってもよかったのではないかな、とは思います。これを機に、オリンピックの現状を見つめたうえで、今後の在り方を検討していくことが必要でしょう。
この話を聞いて、私はマリーアントワネットを思い出しました。
「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」
というセリフで有名な、フランス王妃マリーアントワネット。フランス財政がひっ迫し、民衆が苦しい生活を強いられる中、贅沢三昧の暮らしを続けた彼女は、やがて民衆の蜂起によってとらわれ、ギロチン台送りとなりました。
贅沢と言われた彼女の支出額は、すでに取り返しのつかないほど火の車であったフランス財政のほんの一部分にしかすぎませんでした。つまり、財政逼迫の直接的な責任は他国から嫁いだ彼女ではなく、王も含めた別の為政者であったわけです。しかし、彼女が王妃で、かつわかりやすい形で浪費を続けていたことで、民衆にとっては一種のスケープゴートのような立ち回りになってしまったのではないかという説も存在しています。
王妃とIOC会長という立場は全く異なることながら、コロナ禍において日本国民が一方的に負担を強いられた今回の東京オリンピックにあって、財政を含めたIOC全体の役割について知らされることなく、バッハ会長はマリーアントワネットのようなスケープゴート的な立場であったのかと思えてなりません。
だからといって、IOCとバッハ会長を擁護する気にはなれないですが、事実をしっかりと理解し、状況を客観視する姿勢は保ちたいと思います。