当たり前のこの事柄に,本当に大事な真理が隠されていると思う。
葉っぱは見えるが根っこは見えない。
目に見えている葉っぱは,目に見えない根っこに支えられている。
現実となって現れた様々な栄光や,
人々から称賛される賞や記録は,
当人たちの,
目には見えない努力や見えない心に支えられて現実となったもの。
オリンピックで金メダルをとった彼らを前に,
多くの人がその陰での努力や苦悩に心を寄せ,感動する。
でも,
目に見えて出てきたものが,
悲惨なものであったときこそ,
目に見えない根っこの部分に隠された悲しみや恨み,
そのことに心を寄せなければならないと思う。
目に見えている葉っぱは,
目に見えない根っこがもろければ,
目に見えるまで育たなかったかもしれない。
目に見えている“その人”を作るのは,
目には見えないその人の“心”であって,
目には見えないその人の“子ども時代”だったりする。
教育は,
“目には見えないもの”
だと思う。
そんな,極めて人間的で複雑な営みを,
目に見える“テストの点数”や“評価”によって営むなんて,
到底出来っこない。
暴力や自信剥奪は,最後は力の弱い者へ向かう。
やまゆり園事件では多くの障がい者が命を奪われ,
川崎殺傷事件では子どもたちが狙われた。
明るみになったこの事実をちゃんと見るために,
隠された本質に目を向けていかなければならないと思う。
挑まなければならないのは,根っこの部分。
これ以上こんな悲しいことが起こらないように。
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2019.5.30.
悪者をつくり続けても,世界は良くならない。
悲しみを繰り返さない為には,
悪者を徹底的に罰するのではなく,
それが起こってしまった本質に挑み続けることだと思う。
そして,その本質に,“学校教育”の存在は切っても切れないものだと思っている。
正義の反対は,別の正義。
尊敬する西野さんの絵本【えんとつ町のプペル】