朝から動いて原稿書きの仕事。とおもいきや、原稿を書き始めたのは昼の12時すぎで、なぜか『HERO』を観てしまう。
同じ時間に同じ内容のメールやLINEが届き心臓がキュッとしてびっくりする。昨日の情緒不安定日記を引きずって書いてみると、冷静に考えた結果、改善しない事柄に対しての愚痴をきくことが前を向いている私にはもう耐えられなくなっているということ。そして、それを聞くことによって蕁麻疹のようなものが出るぐらい体に支障をきたすのだということ。メールやLINEがくるだけで心臓が痛くなるということ。
どう考えてみても突発性難聴は職場のせいだったといっても過言ではないぐらいの精神症状に、みずから気がついていなかったのだということ。それに行き着いた。
なんだろう。ずっと平気なふりをしていたということが、1週間休んでみて顕になったという感じである。実務は好きだしそこまでではないとおもっていたので自分でも驚いた。ものすごくストレスがかかっていたと思われる。そりゃあ終わりがみえた瞬間に耳が治るわけである。
たぶんもう、周りのいい加減に惰性で働いているひとたちと、もう何を言っても仕方がないだろうと諦めた大人たちの八方美人極まりない声色を聴きたくなかったのだし、それに対して怒り嘆くひとたちがどれだけ怒り嘆いたところで声は届かず悲しみだけに支配される空気の音を聴きたくなかったのだし、ほんとうはもう、あの場所でなんにも聴きたくなかったのだろうと。
急に周りの音を遮断しようと試みた左耳は、正直だったのだ。
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もうこの話はやめにしよう。『HERO』を観た後に原稿書きの仕事に取り掛かり夕方納品した。ちょこちょこといろいろな仕事をしてみているけれど、応募して採用されるまでは大変だが一緒に仕事をしてくれた人がリピートしてくれる率が高いような気がしていて、とてもありがたい。
私は躁状態のようになったときにはびっくりするほどうまく自分のことをアピールすることができるのだが、普段はまるで自信がないのと、おそらくそこまでの欲望がなくて、だまって野原でぽかぽかして本でも読んで暮らしたい……などと遊民気質が顔を出しいかんともしがたい。もうすこし上手に仕事をとっていく姿勢をみせたり行動を起こしたりしたら良いのだと思うのだけれど、その姿勢をみせたり行動を起こすのも在る種の高等なスキルであり、わたしはおそらくそのスキルをもちあわせていない。自然任せでのんべんだらりと息を吸っている。
大丈夫。なんとかなる。わたしはもっといいものを生み出せるし楽しく生きていける。
よくはわからないけれど、とりえあず(とりあえずって読むだろう、脳は。この脳に抗い続けなくちゃいけないのも校正者の生き方)、根拠がなくてもいつもなんとかなると思い込んでいるから、人生なんとかなっているのだろう。
悲観的なのか楽観的なのか、後ろ向きなのか前向きなのかすらわからない。まわりまわってけっこうポジティブなんだとおもう。
ここ2日間、よくわからないことを書いてしまった。
まぁなんとかなる、大丈夫。わたしは生きていける。