1つ目のプロダクト
目標:10万円/月 または1000万円以上での売却
はじめに
スピードは全てを癒す?
無自覚に陥った”想い”の呪縛
山登り型と川下り型
海外進出をしない国内の風潮に関して
12ヶ月12スタートアップ生活を決めました
https://goalorgold.bubbleapps.io/
おわりに
これまで信じていた常識がもし全く通用しなくなる世界が、全く知らない世界に存在していたとしたら?
これまで神話だと信じてきた方法論が、圧倒的劣勢に立たされる前提条件が提示されたとしたら?
これまでよりもはるかに簡単にかつスピーディーに、 目標に対して進み続けられる手段があったとしたら?
これまで拠り所だと信じていたものが、もしそこまで意味がないと知ってしまったら?
見えていた世界に対する認識が180度変わる事は間違いないだろう。
「インディーメーカー」と言う概念をご存じだろうか。
サイドプロジェクトや、ほぼ独立独歩でプロダクトを作り続けるスタートアップファウンダーのことを指す。
ここで言う独立独歩と言うのは、
・チームメンバーがおらず/または少人数で
・資金調達を受けず
・自らコーディング顧客獲得を行う
と言う意味だ。
これは必ずしもコミュニティーに所属していなかったり、 全く誰も頼らずにサービスを進めていくと言うことを意味しない。現にIndie Hackersなどのような、個人開発・サイドプロジェクト・ブートストラップ(完全自己資本)スタートアップ経営者らが集うオンラインコミュニティも存在している。
実は海外では10年ほど前から突出したプロダクトを開発しているインディーメーカーが続々と出てきており、 バイアウト実績や個人開発からスタートアップ化した事例等は枚挙に暇がない。
中にはたった1人で開発したサービスが、VCから出資を受けたスタートアップ5社を凌駕するといった事例も存在している。
直接的なノマドリストの競合企業は、今までに5社ほどありました。ベンチャーキャピタルから100万ドルから1000万ドルの資金を調達し、10人から30人のチームで私と同じサイトを作っていました。しかし、彼らは皆、何の進展もなかったのです。
(MAKE:BOOTSTRAPPER'S HANDBOOK building startups the indie wayより引用)
これまで私は、特に起業に関する知識が全くなかった2020年頃は、右も左もわからないが故にいわゆる「 アイディアを考え、ベンチャーキャピタルにピッチをし、 仲間を集めてプロダクトローンチさせスケールさせていく」といったような、”王道”のやり方が 正しいものだと思い込んでいた。
しかし本来のプロダクトの存在意義は、世の中にインパクトを与えながら、 顧客に何らかの提供価値を与えること。
価値には4種類あると言われているが(①機能的価値②情緒的価値③自己表現価値④社会的価値)、 そのいずれかの価値を金銭的対価をもって提供し続ける。それが資本主義社会における企業として根本的な前提条件だ。
そして徐々にスタートアップエコノミーに携わっていく中で、実際に収益が出ていない状態で、事前登録のトラクション数値やピッチ資料だけでお金を集めるスタートアップらに違和感を覚えるようになっていった。
なぜならひとえに、ピッチ資料それ自体は顧客に対する価値を生まないからだ。
つまりあらゆるビジネスモデルは最終的にマネタイズが必要になってくるし、どれだけ社会に大きなインパクトを与えていたとしてもそれが金銭的価値を見出せないのであればただのボランティアでしかない。
「価値を提供するという前提条件を満たすのであれば、 オフィス契約やVCからの資金調達、 ドリームチームを集めて「ザ・スタートアップ!!」的に 活動し続けなくても良いのではないか?
むしろ意思決定のスピードが遅くなるし、利害関係者が増えるから、顧客が本当に求めるプロダクトや自身が本当に熱量を持てるサービスが作れなくなるのではないか?」
と思うようになった。
しかも現に一人で5社のスタートアップをなぎ倒した事例があるって、人類最強の某兵長みたいでイカしてんなと。
ピッチコンテストでビジネスモデルをプレゼンするその他多くのファウンダーよりも、 淡々と実績を上げ、少数精鋭・実力で格上のライバルをなぎ倒すインディーメーカーズの方が何倍もイカして見えた。
プロダクトが存在しない状態で資金を集め、 開発や社内ミーティングに時間をかけ、エンドユーザーに2年以上かけて価値を提供する王道のスタートアップビジネス。
最初からブートストラップ(完全自己資本)で、 顧客に実体的価値を提供することを念頭に置きながら孤高に泥臭く手足を動かし、淡々と結果を出し続けるインディーメーカー。
そのどちらが性に合っていたかは後々痛感するところとなった。
加えてプロダクト仮説検証のスピードが遅すぎることにも疑問を覚えていた。
現在Pioneerという全世界から参加者が集うオンライン型のアクセラレーションプログラムに参加しているが、プログラムでは週一回、他の参加者のサービスをレビューする機会が与えられる。
海外のプロダクトレビューしていて感じたのは、 非常に定性的なKPIを定めているか、 事業そのものを進めることに直接関係がないKPIを定める企業が多いと言う事だった。
例を挙げると、
・ ピッチ資料を完成させる
・顧客の声を受けてサービスを改善する
・投資家に3名会う
といったようなKPIだ。
サービスの進捗を数字で観測できなければ、どれだけ価値やインパクトを世の中に与えられていたかがわからない。 自身も訂正的に目標設定する傾向にあったため、これは致命的だと感じた。
フィードバックで言われた一言が脳裏に焼き付いている。
Don't confuse your progress with activity.
進歩と活動を混同するな。
つまり曖昧なKPIを設定する事は、事業スピードの低下につながる。
自身が以前開発していたプロダクトの法人化・ローンチが遅れたのもこのためだった。
そして周囲の起業家仲間や法人登記からプロダクト開発までの一般的なスピードを加味しても、3ヶ月でプロダクトをローンチした者は思い浮かばない。
3ヶ月を経てもまだアイディア検証し続けていたり、MVP構築に半年以上かけていたりする。(例外なく以前のプロダクトがそうだった)
Crunchbaseでリサーチをしたスタートアップも例外ではなく、一年ぶりにランディングページを覗いてみても、未だにクローズドベータ版を続けているプロダクトはザラにある。(例:https://slashtalk.com/ このプロダクトはスタートアップに興味を持ち始めた2019年10月ごろからランディングページが変化していない。 )
市場環境や技術環境が絶え間なく変化し続ける状況下で、 プロダクトのローンチに3ヶ月以上または半年かかってしまうと言うのはあまりに致命的だと感じてしまった。
これは以前開発した音声サービス『Hanashil』の失敗から学んだことでもある。
Hanashilは会話を通じて情報交換をしたりエンターテイメントを味わう体験を提供するサービスだった。
Clubhouseが日本に流入した2021年1月下旬ごろより音声サービスへの注目が集まり始めた事は記憶に新しい。Clubhouse旋風が起こった際には、Clubhouseがここまで国内でバズると予想できていなかったと言うのもあるが、冬の段階で法人すら立てていなかった。 既に仮説検証完了しており、後はローンチをするだけというタイミングであったのにもかかわらず、だ。
結果的に出資を受ける最適なタイミングを逃しただけでなく、プロダクトそのものの磨き込みにも大幅な遅れを生じたまま不完全な状態でローンチをしてしまったというのが以前のプロダクトだった。
さらに、作り続けているプロダクトに対する想いが全く乗らなかった。
シード期のスタートアップは「想い」が重要だといわれる。 シリーズAなどラウンドが大きくなるにつれて顧客数やMRRなどの実測値が大事になってくるが、 リソースがない状況でかつピボットが頻繁に起こりうる状況下では、ベンチャーキャピタルはファウンダーやチームによって投資判断を下すことがある。
とくに日本では資金も開発力も人的リソースもないスタートアップが、仲間やお金を集めるには自らの思いをひたむきに発信をし続け、それに共感をした者らからリソースを集めるのが王道だとされている。 TwitterやFacebook、noteを見ても「想い」 を持つ起業家に情報や「いいね!」が集まり、 挙句の果てには想いを持った若者のみに絞り、起業家支援をするインキュベーターやプロジェクトが多数立ち上がりつつある。
想いは、そこまで重要なのだろうか?
翻って諸外国、たとえばイスラエルやエストニアでは、優秀な学生やスタートアップに興味のある者たちの間でスタートアップを立ち上げる動機と言うのが「単に儲かるから」であるという。
スタートアップはファウンダーの「好きなこと」でなければ続かないと言うが、 以前ローンチしたプロダクトの失敗から「さもありなん」と感じたことは言うまでもない。
ただ一方で、ただ儲かるからあったり、社会的にインパクトを与えたいと言う欲求のためにスタートアップをやる事は果たして動機として「あってはならない」ものなのか?とも思うようになった。
壮大な世界を作りたいと思わなくても、身近な「あったらいいな」であったり、「 こんな暮らしをしてみたい」を実現する 1つの手段として小さくスタートアップを取る事は、果たして非常識なのだろうか?
これまで1年以上、
「音声サービスで世界にインパクトを与える!」
であったり、
「To Cサービスを続けなくてはならない!」
といったような「想い」に縛られていた。
ある程度第三者に思いを伝えまくって、その過程で確かに熱意が芽生えつつあるのは事実なんだけれども、心のどこかでもどかしさや違和感を抱えていた。
他者が自らの思いを知っているからこそ、引き返すタイミングを徐々に徐々に失っていく。仲間も集まり始め、資金調達も決まり始め、 サービスもローンチした。 ファウンダーが思いを失っているにもかかわらず、まるで生気を失ったゾンビのようにサービスが淡々と進んでいく毎日。
そしてこれまで信じ続けてきた虚構によって事業が駆動されていたり、想いに応援者や仲間が増えてきたとき。ある瞬間熱量を持てていないことに気づいた瞬間、糸が切れたように無気力になった。
後戻りはできない。だがこのプロダクトで世界を取り続けると言う気合がない。 一生命をかけられる覚悟ができない。
ワクワクしない。
未来が見えない。
でも仲間や支援者には言えない。
悩みあぐねた結果、 Hanashilを一旦休眠させることに決めた。そして支援してくださっている方、既存の顧客にも休眠させることを全て伝えた。
「想い」に却って縛られ、執着をし続けていた結果だった。
休眠させてからと言うもの、 これまで行ってきたサービスの作り方や人生設計が本当に違和感なく歩めるものであったか?を自問自答するようになった。
資金調達を念頭に置いた場合、スタートアップは将来や目標から逆算して戦略を検討し、その戦略を実績で示し続けることが求められる。
これは、例えばプロダクト自体にユーザーが使用する兆候が出ていなかったとしても、極論「ユーザーが使うようにするためにお金が必要なので」という理由で資金調達に回らくてはならないシチュエーションが生まれるということだ。
目標から逆算し、KPIを設定し、メトリクスの修正と改善に魂を売る。これが一般的に社会や、スタートアップ界隈で求められているスタートアップのやり方であると思っている。
しかし実際はどうだろうか?
ユーザーが使わないことには、数字も逆算できないのでは?
ユーザーが発生しだしてから数的メトリクスを設定し、顧客の振る舞い(※間違っても「インタビューによるユーザの声」ではないことに留意されたし)から彼らの心を掴むのはどこか、どこで掴んでいないのか?をはっきりと見定める必要があるのではないか?
つまり大抵の場合、順序が逆になっていることが多いことに気づいてしまった。
ちなみに人生においても、これまで明確な目標を定め、また達成してきたことは一度もなかった。
中学時代は3年間壮絶ないじめを受け、「知人のいる環境から抜け出したい」という想いだけで東京都の高校に進学し、生涯の友人と出会えた。
受験生時代は、「進学先がMARCH以上(でないと学費が自腹)」、自宅にPCがなく当時の志望大学の中で「郵送で出願できること」の2つの条件を満たす立教大学を高校3年生の1月に出願し、合格した。オープンキャンパスも行ったことがなく、立教のキャンパスに足を踏み入れたのは入試当日が初めてだった。
インターンを探す際も、「スキルが身に付く」「何となく名前が知れている」という軸で12社ほど受け、最終的にGREEで営業のインターンとして働いた。
大学では「ただ英語を学びたい」と言う理由で英語の授業を受講しまくっていたら、いつの間にか副専攻の学位認定資格を満たしていた。(大学のシステムでは副専攻の英語学習授業は卒業単位要件に含まれていない。そのため実質無意識に他人の2倍授業を受講していたことになる。)
つまり私は場当たり的、かつ「曖昧な目標でないと成果が出ない」タイプの人間なのだとわかった。 音声で世界を変える。20× ×年までに〇〇上場!などといった具体的な目標はそぐわないのだと分かった。
現に約2年前、就活真っ只中の2019年5月に受けたストレングスファインダーには、このような性格結果が出ていた。
当時はスタートアップに全く関心がなかった上に、起業家に対し「 他人を踏みにじりながらマキャベリスト的にお金を稼いでいく集団」という偏見があったのだが、そんな時期からもこのような性格特徴が出始めていたと考えると面白い。(※ 現在は社会課題解決やグローバル進出など、マクロな視点で活動をしている起業家が多いことを知ったため起業家に対する印象が180度変わっている。)
まとめると、「他人には見えない未来を想像し確固たる価値観を持つ。しかし場当たり的に対応するのを好み、常に新しい知識や知的な領域に触れながらあらゆる事柄の課題解決を好む」性格を持っていることがわかった。
Hanashilをクローズしたのちに判明したのは、根本的なライフスタイルに対するズレだった。
これまで2年間スタートアップに取り組んでいく中で無理矢理将来に対する目標を立て、それを実現するための小さなタスクをクリアしていくことこそがやるべきことだと信じ込ませ続けていた。
以上のようなストレングスファインダーの診断結果が出ており、これまで比較的場当たり的な人生を歩んできたにもかかわらず、だ。
先に示したような、明確な目標を先に立て、小さなゴールにブレイクダウンし、一つ一つタスクをクリアしていく方針を「山登り型キャリア」と呼ぶ。 例えば一般的な就活セミナーやスタートアップの教科書などには、先にありたい姿から逆算をし、そこから現在とりうる手段を選ぶのが最も有効だと書かれていることが多い。これらは「山登り型」を推奨していることになる。
しかしその場その場で場当たり的に最適解を求め、 より居心地の良い環境・またはさらなる成長を求める環境へと流れ続けていくようなキャリアプランを「川下り型」という。 実は個人的には世の中が半分近くが川下型の性格が適しているのではないかと勝手に思っているが、その意味で自らが理想とするライフスタイルへの違和感を抱えながら生き続けている人間は結構多いのではないかと思っている。
性格特性について理解を深め、そしてこれまで刷り込まれてきたスタートアップコミュニティーに対する洗脳が解かれた。
では、 私が持っている軸とは何だろうか?
回答の1つに「グローバル」があった。
物心つくかつかないかの頃から英語に触れ、小学校ではロシアのサンタクロースは青いと知り、ポーランド人と合気道をした。中学時代には諸外国と対等に渡り合うだけの実力を持ち合わせている日本人の底力に驚き、高校時代1ヶ月を過ごしたアメリカでは多様性、規模、価値観すべてに圧倒された。
普段日本で過ごしていると全く気づかないが、80億を超える人々がこの星には息づき、 数十万とも呼ばれる言語が存在している。 密告やリンチ、人身売買が当たり前に存在している社会もあれば、ゆりかごから墓場まで傷ひとつ負わずに天寿を全うすることが当たり前の国もある。
自らが見えている世界だけが「世の中」だと思ってはいけない。そう強く感じた。
そして、自身が何よりもあらゆる世界を見続け、視野を広げ続けていたいと考える人間であることもその一つだ。この世界にはまだ知らない世界が眠っている。
過去に学校・部活動といった閉鎖的なコミュニティーで馴染めず、人格否定を受けたりや私物を壊され続けた経験がある。 だが高校、大学といった形でコミュニティーを広げる中で感じたのは、 どんな人間にも必ず居場所はあると言う事だった。
そのコミュニティーになじまないからといって、彼らに居場所がないわけではない。 必ず世界のどこかには応援してくれる人や支援してくれる人味方になってくれる人が絶対にいる。
しかし現実問題、情報の分厚い壁やありとあらゆる制約のために、多くの人々が一人ひとりが最適なコミュニティーを探せずにいる。 狭い了見の中にとらわれて、なじまない常識に自らを強制的に合わせようとし、 結果的に命を絶ったり精神的肉体的に病魔に襲われるといった事例は本当に日本には数多い。
日本や海外といった区切りもまさに同じ構造だと思っている。 国内で伸びなかったスタートアップが、海外で爆発する可能性もあるかもしれない。「 国内で伸びないスタートアップが海外で展開できるわけがない」と言っている人がいるが、そもそも海外と日本では戦い方が違う上に、 独自のお作法やルールといったものがある。たまたま国内で展開しようとしたサービスが国内で合わなかっただけかもしれないし、逆も然りである。
働き方、人生プラン、交友関係、趣味。 ありとあらゆる領域において、誰も自らの可能性を制限する必要はないし、 すべての人々が自らの居心地の良い環境や自らの求める成長をできるような環境に最適に配分される社会が理想的だと考えている。
現在の日本は、これは先人たちのおかげでもあるのだが、社会が成熟しきってしまっている(これについては異なる視点で観測する際に成熟はしていないと言う反対意見もあるだろう)ことが問題だと考えている。
少なくとも国内で暮らすにあたって餓死する事はほとんどないだろうし、 選択をしなければ(コミュニティーや所得レイヤー層ごとの情報という分厚い壁はあるものの) 定職に就くこともたやすい。 夜入浴中に敵国から焼夷弾が投下されることもなければ、金品やプライベートな情報を国家のためと言う名目で無条件に収集されることもない。
だからこそ、 海外という事業のポテンシャルを引き出せる可能性がある空間ではなく、日本と言う閉塞的で安全で成熟した経済の中で、必然的にプロダクト開発が「できてしまう」のだと思っている。
そして日本のスタートアップコミュニティーは、さながら”ガラケー”のようだと感じている。
スタートアップコミュニティーにおいても、 最初から海外を狙わないことによるリスクが今後顕在化していくのではないかと個人的に思っている。過去の過ちを繰り返さないためにもだ。
2000年代前半は複数の携帯キャリアが 多機能化、高機能化でしのぎを削っていた。 最初から海外展開を狙わなかったとしても国内である程度市場が満ち足りていたため、 国内で競争が起こっていた。
だからこそ、 日本と言う閉塞的で成熟した経済の中で、必然的にプロダクト開発が「できてしまう」のだと思っている。
しかしiPhoneの襲来で市場環境は一変し、 日本の主力製品であった携帯電話各社は撤退を余儀なくされた。
SNSにおいても2000年代後半は国内産が隆盛を続けていたが、現在では海外製プロダクトがほぼ寡占状態にある。
最初GREEやMIXIは競合優位性を保っていたし、外資に対して十分に太刀打ちできたはずだった。 しかし諸外国のサービスに対するリスクヘッジ不足やプロダクト自体のアップデートの方向性のミスから、結果的に海外製のFacebookやTwitterに軍配が上がった。
(このような日本型組織のミスがなぜ起こるかに関しては「失敗の法則-日本軍の組織論的研究」に詳しい)
だが日本人にはチャンスもある。そう信じている。
音声サービスを進めていく中で数多の競合をリサーチし続けていた。 そして気づいたのは、 プロダクトの質がグローバル水準で見ても非常に高く、ユーザ体験がとても洗練されているにもかかわらず、 事業計画の中に一切の海外展開と言う文字がない、あるいは海外展開を念頭に置いていたとしても国内のユーザが足かせとなり、思い切った舵取りができずにいるプロダクトがいくつか存在していたことだった。
国内にもGAFA打倒を掲げたり、 世界的に展開していくという野心を持っているスタートアップは数多い。プロダクトの質は海外製に全く見劣りしないし(むしろ優れてさえいる)、それでいて日本のサブカルチャーやアイドルといったコンテンツ面も大きなポテンシャルを秘めている。
だがそもそも日本という”成熟しきった”市場で戦っている時点で、世界的な展開が難しいのではないかと考えてならない。ヨーロッパやアジアの一部の国のスタートアップは 最初からシリコンバレーで出資を受けることを念頭に置いてプロダクトを制作しているケースが散見される。 (Spotifyが代表的だろう)
言語的障壁や母国でのスタートアップマネーの流動性などの背景要因はあると思うが、総じて最初から聖地シリコンバレーを目指す気概でプロダクト開発をしているファウンダーは世界中に星の数ほどいるのは事実だ。
例えてみれば、弱小野球チームのエースと、甲子園常連校のベンチ。どちらがスキル的に上回っているだろうか?というようなものである。
もしかしたら野球チームでは弱小のエースでも、水泳部に転部すればインターハイ出場も夢ではないのかもしれないのに。
もしかしたらベンチだったとしても甲子園常連校の野球部に入部していれば、その練習の視座・レベルの高さから平均以上のプレイヤーになれるかもしれないのに。
つまり過去の日本製プロダクトの過ちから学び、真の意味で世界で日本産プロダクトを広めていくためには、スタートアップ界隈がガラパゴス化しつつある日本の環境ではなく、最初から海外のコミュニティーに身を置き、海外水準でプロダクトを開発していくことが必須条件だと考えた。
市場を変えること。戦い方を変えること。最初から海外を念頭に置くこと。これら3つは積極的に注力していこうと考えている。
かの本田宗一郎はこう言った。
世界一でなければ、日本一ではない。
バイク製造においてアメリカとの格の違いを思い知った本田宗一郎は、当時世界最高水準の工作機械を海外から輸入して導入した。資本金600万円のスタートアップが、4億5000万円かけて購入したのだ。
必要な時にリスクを取り、圧倒的なレベルに実績で追随し、量・質で凌駕する。それでこそホンダは現在日本を代表するグローバル企業となり得た。
だからこそグローバル水準でプロダクトを出し続け、日本人でも世界的にプロダクトをブチ上げられるという実績を出し続けたい。
これらの理由から、とにかくスピーディーにサービスをローンチし続け、 その過程における失敗を成功から学び続けることで、 海外において本格的にプロダクトを展開するための足がかりとすべく12ヶ月12スタートアップ生活を始めようと考えた。
海外で本格的にプロダクト展開を行うにあたって、サンフランシスコに拠点を移すことや海外での上場も念頭に置くが、 プロダクト開発では最初の挑戦で最初からムーンショットを行うことが確率上極めて難しい。
スタートアップを始めてから大成功を収めるまでには目算で20年程度かかると考えている。成功したスタートアップのファウンダーの年齢は45歳程度が一般的だといわれるが、 彼らは何も45歳に初めて起業したわけではない。 これまでの失敗や成功があったからこそ、世界に名だたるプロダクトを作り続けているのだと思う。
だからこそ、現在はあらゆる可能性を模索しながら1月に1つスタートアップモデルをローンチし続けることを決定した。
ゆえにまずは小さく始め、バイアウトやプロダクトのスモールローンチを何度も何度も繰り返し肌感覚をつかんでいく。
そしてあらゆるプロダクトを作成し尽くしたその先に、 世界的に生み出したもの日本へと逆輸入したい。そう考えている。そして閉鎖的だった日本を改めて「開国」し、 誰もが自らの最適な居場所を心から見つけられる環境を作っていく。
千里の道も一歩から。まずは月に一回ずつスタートアップを作り続け、 小さくバイアウトや世界で実績を挙げる。 小さくとも少しずつ経験を積むことこそが、すべて将来の大きなアウトプットにつながる。
現在は先延ばしをすると代償が支払われるサービス「黙ってやれ」を開発中である。
私が抱えている、新しい習慣を身に付けようとしてもなかなか理由付けをしてしまって先延ばししてしまう癖から生まれたサービスだ。
1月に1つのスタートアップを作り続けた先に何があるかわからない。
もちろん川下り型の性格であるため、魂を売れるスタートアップモデルを発見した場合、 より自らの才能が発揮されると判断した生き方が見つかった場合はそちらに心血を注ぐだろう。だが この生活を続けた先に何が待っているのか、ひとまず確かめたい。
最初から海外に向けてサービスを展開していくと言う戦略自体、現在の日本のスタートアップコミュニティーにおいてそもそも珍しい。
スタートアップをやるからには資金調達をやるのが当然であるし、仲間を集めていきなり若手のうちから成功することが美徳。 日本の市場をとってから海外進出をすることが王道であるとされるような空気感。今後取ろうとする戦略は、これらの対極に位置するものである。
スケールするまでは自己資本でやり続ける。最初からマネタイズと海外での展開を意識し、サービスの成長可能性が数的の実績で示されない限り資金調達は受けない。 そして仲間集めを最低限に止め、プロダクト開発とローンチのスピード顧客と向き合うことに全精力を注ぐ。
応援してくださる方すべてへの感謝を忘れず、多くの人々と協力しながらサービスを作成し続ける。
独りでは何も成し遂げられない。 チームメンバーが少なかったとしても、それは孤独を意味しない。 社会、仲間、ユーザー、支援者全員でサービスを作成していく。
不定期ではあるが、Youtubeやインスタグラムにてプロダクト開発の様子をライブ配信していく。 TrelloやGoogle Analyticsの定期的な公開と言った形で可能な限り情報をオープンしてゆく。
ユーザと一緒にサービスを作り、社会からフィードバックを受け、周りの人間関係を重んじることが成功の鍵だと考えているためだ。
1月に1サービスをローンチし続けた先に何があるのか
それは希望かもしれないし さらなる地獄かもしれない
それは進み続けた者にしかわからない