(親バカですが)
私の息子は幼いときのアメリカ暮らしで培った英語などを活かして、ホテルマンとして遠方で働いている。
ちなみに、私の絵本『ええぞ、カルロス』の登場人物アキラは幼い頃アメリカで暮らしたことがあり、日本語のわからないカルロスの気持ちがわかった。このアキラは息子がモデル。
二年前この息子から突然電話があり、僕の孫が事故でICUに入っている。すぐ会いに来てほしいと言った。僕は孫がいたっけ???
次の一〇分のうちに、子どもが結婚していることすら知らなかった僕は、濃縮して時の流れを経験した。(^0^)
息子が言うには、実は子どものいるシングルマザーと結婚した。こないだ祖母の見舞いでお父さんに会ったとき、説明しようと思ったが、他の親戚とも病院でかち合わせたので延期した。
だから、お父さんには孫がいる。今、三歳だ。その子が昨日、事故で今ICUに入っている。万が一のことがあったら、一度もおじいちゃんに会わずに天国へ行くのは、悲しすぎるからすぐ来てほしい。
ありゃまああああああああ。
幸い、僕が到着したときには孫は峠を越えて通常病棟に移っていた。嫁とも孫とも病院で初対面した。
今日は、その息子が一五歳の時に書いた原稿を紹介しよう。
この原稿は僕が知り合いの編集者に話をつけ、雑誌に発表済である。
もしALISでいいねや投げ銭などがあれば、僕が勝手に円換算して、息子か嫁か孫に何か買って送る。(^0^)
悪者さがしではなく ~真珠湾への思い~
abhishekaの息子(一五歳時)
12月8日パールハーバー攻撃の日が今年もやってくる。僕はパールハーバーについては複雑な思いがある。
今年の夏、修学旅行で僕はそのパールハーバーを訪れた。駐車場でバスを降り、ビジターセンターに向かう途中、二人の黒人が向こうからやってきて、僕ら中学生にいきなり「FUCKIN‘ JAPANESE PEOPLE!」と言った。
その低音の怒声にこもった憎しみの深さが、僕にはひしひしと伝わってきた。
僕は大きなショックを受けた。戦後六十年たった今、中学生である僕らに対してもやはりどうしてもそう言わなければいけないのか。正直言って、筋違いだと思ったが、怒りよりも悲しみがあふれてしかたなかった。
先日テレビで放映していたのだが、パールハーバー攻撃を経験したアメリカ人が広島を訪れ、原爆投下後の被害の実態を知った。記者がそれについて「謝らないのか」と問いかけると、彼はあたりまえのように言った。
「REMEMBER PEARL HARBORという言葉がある」と。
それについても僕は「何か違うのではないか」と強い違和感をいだいた。
さて、パールハーバーのビジターセンターで、僕らは真珠湾攻撃の背景についての映画を観た。もちろん一方的にアメリカの視点で描かれたものだった。
対岸のフォード島横に浮かぶアリゾナ記念館には、船で渡った。船の中では、ルーズベルト大統領の演説が流された。真珠湾攻撃を事前に知っていたはずの彼であるにもかかわらず、日本の奇襲の不当性を訴え、憎しみを掻き立て、戦意を煽るような演説である。
とても芝居がかった演説だと感じた。同時多発テロ後のブッシュの言動がそこに重なる思いだった。
アリゾナ記念館の中には、湾に沈んだ戦艦アリゾナの模型、日本の攻撃の全容などが展示されていた。模型は貧相で、あまりたいしたミュージアムではないように感じた。
そのアリゾナ記念館を見守るように海に浮かんでいるのは、戦艦ミズーリ。日本が降伏文書に調印した船である。ここにも何か芝居がかった意図を僕は感じてしかたなかった。
いったいこれは、平和を創りだすための施設なのだろうか。それとも憎しみを記憶し永久に留めるための施設なのだろうか。
・・・いずれにせよ、今でもパールハーバーを訪れるならば、日本人と見れば誰かれとなく「FUCK」とか「REMEMBER PEARL HORBER」などと突然言ってくるアメリカ人がいるのは事実なのである。
それは中学生である僕らにすらおかまいなしに投げつけられる憎しみの礫なのである。
だからこそ、今、中学生である僕自身が、「そういう実態について何がどう違うと感じているのか」そして「これからどうしていけばいいと思うのか」―――そのことをじっくり考えて、明らかにしておく必要があると切実に感じた。
ちょうど戦後50年を迎えようとしていた一九九五年ごろ、僕は父の仕事の都合で、アメリカの幼稚園に通っていた。
ある日、アメリカ人のクラスメートが、「REMEMBER PEARL HARBOR」とはやしたてるように僕に言った。
僕はその時、まだ幼くて何も知らず、意味はわからなかった。が、そのときのクラスメートの目つきや言葉の投げつけかたで、なんだか嫌な感じが胸に残った。
家に帰って両親に「パールハーバーって何?」とたずねた。
両親はびっくりして、「誰に言われたの?」と聞き返した。幼稚園の友達の名をいうと、母はちょっと暗い顔になった。
父は地球儀を持って来てヨーロッパの人々が世界中を侵略したことを説明した。それから日本もアジアや太平洋を侵略しアメリカと対立したことを教えてくれた。
そしてとうとうハワイのパールハーバー攻撃し日米の太平洋戦争が始まったのだと言った。
僕は必死になって「日本が悪いの? アメリカが悪いの?」ときいた。幼い僕はただそのことだけが知りたかった。
父は「難しい問題だからこれからよく勉強しなさい」とだけ言った。
それから半年ほどしてロサンゼルスの日系人博物館へ家族で行った。
ちょうど日系人収容所の展示が行われていた。
太平洋戦争中、アメリカにすんでいた日本人はただ日本人だというだけで捕らえられ、収容所にいれられていたのだ。
僕は「いったい僕達がなにをしたっていうの? 僕は知りたいよ」と大きな声で言った。
母はあいまいに笑うだけだった。
僕は「何があったの? 何があったの?」と繰りかえしさけんだ。
思えばその時から戦争についてとても興味を持った。
小学生になり日本に帰ってきた。
すこし注意しているとまるで僕の疑問に応えるかのように、テレビなどで戦争についての番組をやっていた。
とても悲惨なビデオも見た。
口を開けてころがっている死体や火炎放射器で焼け出された人、追いつめられてがけから飛び降りる人々などを見た。
それを見て僕はいったいなぜこんなことがおこるのだろうと頭をなやませた。
幼かった僕の「日本が悪いのかアメリカが悪いのか」という疑問にはなかなか答えが出なかった。
二〇〇一年九月十一日、アメリカで同時多発テロが起こった。
家族でのぼったこともあるワールドトレードセンタービルがテレビの画面で激しくくずれていった。
いったいどれほどの憎しみが人をこのような行動にかりたてたのだろうか。
中東の歴史を考えるとアメリカに大きな責任があることはたしかだ。
しかしその怒りをテロというかたちでぶつけてしまったなら、そこからは新たな憎しみが始まるだけではないだろうか。
この時、僕は初めて「だれが悪いのか」ということよりも、もっと大事な問題があるのではないかという気がし始めた。
悪者はだれなのかを決めて、たたきのめすことが大事なのではない。
それでは憎しみの連鎖はどこまでも止まらないだろう。
大事なことはこの憎しみの連鎖をどうすれば止めることができるのかということなのだ。
そのことを考え知恵を出し合うことなのだ。
ところが九月十一日以降のアメリカは無理にでも悪者を決めつけ攻撃することにやっきになっている。
いまのアメリカではそのことに反対意見をいうのはとても難しくなっていると思う。
また日本の政府もそんなアメリカになにも考えずについていっているように見える。
アカデミー賞授賞式でマイケル・ムーアはそんなアメリカ政府を批判して「恥を知れブッシュ」と叫んだ。
会場は激しいブーイングと同じぐらいの拍手につつまれた。
僕はそれを見ていてアメリカ人の中でも意見がわかれていることを知った。
僕はそんなムーアの姿を見てとても偉いと思った。彼は憎しみの連鎖をとめようとしているのだと思った。
人々の憎しみを利用してアメリカ政府の欲しがっているものは中東の石油ではないだろうか。
そう考えると憎しみともう一つ戦争をつき動かしているものは人間の欲望ではないだろうか。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」に出てくる指輪は人間の欲望の全てをかなえる。人々はその指輪をめぐって争いをやめない。
だからこそフロドはその指輪を永久にほうむりさろうとしている。
「THE LORD OF THE RINGS」のロードとは主(支配者)のことである。僕は指輪は人間の欲望の象徴だと思う。
人間は欲望の主(支配者)になることができるのか。それともどこまでも争い続けるしかないのか。
そのことを問うている物語だと思う。
幼い僕が抱いた疑問「日本が悪いのか? アメリカが悪いのか?」の答えがすこしずつ見えてきた気がする。
戦争は一人一人の人間がつくりだしているものだ。
まず僕自身が自分の欲望の主(支配者)になること。
そして憎しみの連鎖をこえていこうとすること。そのためにはどうしたらいいかを考え続けること。
そしてマイケル・ムーアのように自分の意見をはっきりとのべること。一人一人がそのように協力していけば世界は平和に一歩ずつ近づいていくのだと思う。
日本国憲法を変えようという考え、特に九条を変えて、おおっぴらに軍隊をもつ国にしようという考えには僕は強く反対する。
憲法九条は憎しみの連鎖を止めようとする勇気ある一歩を表すものだ。
この憲法を守ろうとし続けるかぎり、日本は正しい意味でパールハーバーを記憶に留めていることになる。
パールハーバーだけではなく、日本に攻められたアジアの国々の被害を心に刻んでいることになる。
いや、それだけではなく、九条を守り続けることは、僕たちが広島、長崎の原爆を、各地の都市への空襲を、沖縄の激しい地上戦を記憶に留め、忘れていないことを意味する。
米国が「REMEMBER PEARL HARBOR」と言うならば、その同じ米国が一方で憲法九条の改悪をせまってくるのはまったく矛盾している。
パールハーバーを日本への憎しみのメモリアルにするのではなく、世界平和を願う場所のひとつとするならば、九条を守り、むしろ世界の国々に広げていくことこそ、大切なはずである。
そうなって初めてパールハーバーと広島、長崎、沖縄は、同じひとつの祈りでつながる場所となるだろう。
僕は小学校の修学旅行で広島へ行き、中学の修学旅行でパールハーバーへ行くことができて、よかったと思う。
戦争の記憶のされ方について、その伝わり方や、伝え方について多くのことを考えることができたからだ。
ところで、最近のアジアの国々の反日運動も、戦争の記憶を日本への憎しみをかき立てるために利用しているだけのように見えることがある。
戦争を記憶に留めることはとても大事だが、それは共に平和を築くためにこそ大切なことなのだ。
もしそのことを忘れるならば、たとえば南京もパールハーバーと同じように、日本への憎しみを記憶し永久に留めるための場所になってしまう。
それは世界の平和にとっても、結局はマイナスの効果となるのではないだろうか。他国への憎しみを過剰にあおりたてるような中華人民共和国などのやり方には、日本もはっきりと物を言わなければならない。(もちろん、憲法九条をもつ国としてだ!)
戦争という歴史的事実をどのようにとらえて、どう伝えようとするのか。
そのことを通しても、僕らは「欲望の主となるのか」「欲望の奴隷となるのか」ということを問われている。
REMEMBER YOUR OWN SPIRIT.