2006年の日記です。
映像と音響がずーっと、生と死を吹き抜けたところを流れているようで、とてもよかった。
川のせせらぎ、鳥や虫や蛙の声、風の揺らぎ、すべてがいい。
これに匹敵する映像と音響の効果は「お引越し」にだけ感じたことがある。
黒澤明の「夢」よりはずっといいと思う。
その素晴らしいテクニックはまねすることの出来るものではなく天賦の才だと思うが、たとえば稲刈りの遠景が映っているとき、耳のすぐそばでサクっと稲株の切れる音がすることなどは、変性意識の特徴をよく捉えている・・・などと分析できるようなところもある。
(つまり映画を視聴しているものは、ずーっと変性意識にあるような感じになる。)
(ほかには、気持ちがシンクロしているとき、自分の呼吸音と相手の呼吸音が交じり合って自分のもののように聞こえている・・・など。)
阿弥陀堂を守る96歳のおばあさんオウメさんの言葉はどれも含蓄がある。
この世とあの世が筒抜けになったようなところから発せられる言葉・・・といった感じの風情がいいのである。
が、その言葉を聞き取る若いさゆり(喉の病気で発語できない)の走り書きする言葉もなかなかのものだ。
「小説とはウソを書くのか、本当のことを書くのか」と質問するオウメさんに対して説明に苦しむ主人公の売れない作家タカオ(寺尾聡)の代わりに「小説とは言葉で阿弥陀さんをつくることだと思います」とさゆりが走り書きして見せたのはよかった。
主人公の恩師香田先生の、死を迎える最晩年の淡々としたたたずまいも見どころのひとつ。
良寛の「天上大風」という字を良寛のごとく生死を吹き抜ける風として書くことに挑戦しているのが、作品全体のテーマとも通底している。
最後のテロップで原作が南木佳士と知った。
「ダイヤモンドダスト」しか読んだことはないが、作風を思い出して、なるほどと思った。
小説「阿弥陀堂だより」も読んでみよう。