なぜ「ノイズ文学の可能性」という文章でゴッホの星の湧く絵たちに喩えられる靖翁(台湾人の友人のお父さん)の禅天目茶碗の写真を表紙にしたか、解説しておきたい。
それは、ゴッホの絵もまた同じ原理だと思うからだ。
ゴッホの、星が湧く絵はいくつかあるが、近距離で見ると、塗りたくった油絵の具の跡が荒々しく見えるだけだ。
星など描いていない。
この油絵の具の一見乱雑な痕跡をノイズとしよう。
ところがある距離から適切に見るとき、
この油絵の具の痕跡は完全にチューニングして、消えてしまう。
そして替わりに無数の星がわき出る。
この時、脳内でも最高のチューニング状態が生じる。
これは瞑想の極地に似ている。
あるいは臨死体験にすら似ている。
だからです。