僕の甥(弟の息子)は、岡山県ののどかな学校に通い、のびのび野球をしている間、特に学校から不適応の指摘を受けたことがなかった。
弟の転勤に伴い、甥も都会の小学校に転校。
勝利至上主義の少年野球チームに入ってから、いじめを受けるようになった。
それが、学校にも波及し、学校でもいじめられた。
「学校は残酷な所だから、僕は行かない」と言い始め、不登校になった。
それから、心療内科の受診を勧められ、アスペルガー症候群の診断を受けた。
(現在の医学界には、アメリカの診断基準DSMの改訂により、その診断名はない。自閉症スペクトラムに含まれるとされる。)
確かに彼が物事を字義どおりに考える度合いは、少し強いと僕も思った。
しかし、そのことで「空気を読まない」とされ、いじめられるとしたら、それは日本の文化風土や、学校の教室の圧迫的な空気のせいであって、彼自身に内因的な原因などないと、僕には感じられた。
あるとき、僕の母、彼のおばあちゃんが、新聞記事の切り抜きを僕に見せ、「アスペルガー症候群の特色として、自分がお腹がすいてもわからないと書いてある。あの子はそうだ。だからやっぱりアスペルガー症候群だ」と言い出したことがあった。
そのとき、僕は思い出したのが、以前におばあちゃんの家で皆で食事した時のことだ。
食事を終えて、帰り道で、甥が「ああ、お腹空いた」と言った。
僕は「じゃあ、なぜさっき言わなかったのか」と聞いた。
すると彼は
「おばあちゃんが後で御寿司もとろうと言っていたので、とると思っていた。だから他のものを少し控えめに食べた。でも、おばあちゃんが忘れてしまって、食事の片付けも終わって、まだ御寿司が来ないので、『御寿司は?』と聞いた。すると、あ、忘れてたわ。お腹空いているなら、今から注文しようかと言った。でも、その時、『うん、お腹空いている』というと、それから注文して、何十分かかかって来て、食べて、すごく遅くなる。家でゆっくり見たいテレビ番組にも間に合わない。だけど、お腹空いていると言ってしまったら、『空いてるけど、帰りたい』と言っても、すごい勢いで、絶対におばあちゃんは御寿司をとることを曲げない。だから、お腹空いていることを隠した」
と僕に説明した。
一回、御寿司をとると言ったら、「絶対とる」と彼は信じていた。
だから待っていたのに、忘れていたとわかったとき、いろいろなことを考え合わせてお腹が空いていることを隠したのだ。
僕も子どもの頃から、母が言葉で言ったことを実行しなかったり、違うことを言い出したりして、言葉に責任をとらない人だなと思ったことはよくあった。
この場合、成り行きを見通して、相手の性格も考慮して、言動をコントロールしたのは、甥の方であって、母は自分が配慮されたことにすら気づいていない。
誰かを自閉症スペクトラムと診断することの危うさは、こういうところにも表れていると僕は思った。
さて、この甥だが、小学校五年生のとき、僕が将棋を教えた。
すると、僕の息子や娘より、めきめき強くなった。
将棋の本もよく読んでいるようだった。
四つも年上の息子は数ヶ月で負けるようになった。
甥に将棋を教えて二年ぐらいした頃、僕も負けた。
彼はその時こう言ったのだった。
「おじさんは時々いい手を打つけど、弱いのは、将棋をちゃんと勉強したことがないんだね」
はい。おっしゃるとおりです。(;゚ロ゚)
僕の勤め先に、アマチュアの将棋大会でかなり活躍している将棋が強いのが自慢の人がいた。
その同僚に甥の話をすると、「よし、それじゃあ、僕がもんでやろう」と自信満々に甥を訪ねていった。
そして、二回戦して二回とも同僚が甥にボロ負けした。
「もう一回、もう一回しよう」と言ったけど、もう来なくていいと見放されたらしい。(;゚ロ゚)
その甥は何年も学校には行かなかったが、義務教育の卒業証書はそれでも出る。
そのあと、彼は通信制高校に入った。
その高校で彼はスクーリングの日などに活動するクラブとして将棋クラブを作って主将になった。
しかし、部員は彼と後一名の二人。
その一人もめちゃ将棋強い子だったのだが、ひとつ問題があった。
それは高校生の将棋大会の団体戦は五人で戦うものだということだ。
人数はそれ以下でも参加はできるが、欠員の分は不戦敗になる。
二人だとたとえ二人とも勝っても二勝三敗になる。
つまり一回戦で敗退することが初めから決まっているということだ。
この話を聞きつけた少年がいた。
彼もめちゃくちゃ将棋が強かった。
しかし彼は学力の高い公立高校に通っていた。
だが、彼の中で何かが爆発したようだ。
どうやって親を説得したのか知らないけれど、彼はなんとその高校を中退し、通信制高校に転校してきた。
これで将棋クラブのメンバーは三人になった。
そして・・・・
もう、これ、将棋フアンのための漫画にしたらどうかと思うような実話なんだけど。
高校生の将棋の府大会に出場したこの三人は、どんな強豪高校を相手にしても、必ず三勝二不戦敗で、勝ち進んだ。
そしてなんとその年の府大会で優勝してしまったのである。
チームは近畿大会に進み、そこで二位にまでなったのである。
決勝で三人のうち誰かが一敗してしまうだけで、優勝できないのだから、二位でもすごいことである。
その後も、大人の将棋クラブなどで将棋を続けていた甥は、
弟に聞いた話では、一時は高校生のアマチュアランキング全国五位までいったらしい。
「プロになればいいんだよ」
と僕は勧めたが、彼は言った。
「自分の才能の限界は知っている。もし仮に、がんばってがんばってプロになることができたとしても、僕はその仕事をするのはイヤだ」
「なんで? 好きな将棋をするのを仕事にするのが、どうしてイヤなん?」
「だって、その場合、僕はもっと強い人たちに負けるのが仕事になる。それがイヤなんだ」
今では将棋からは足を洗ったと聞いている。(;゚ロ゚)
なお、障碍という言葉を私が使う理由については、以下の記事を読んでいただけると幸いです。